かつて凶悪な事件を起こし“少年A”として報道され、世間を震撼させた14歳がいた。彼は今どのような社会生活を送っているのだろうか? 映画『友罪』は、少年Aの現在を、彼が元ジャーナリスト、益田(生田斗真)との間にささやかな友情を育むさまを通して描くフィクションだ。瑛太は、少年A=鈴木秀人として生きる青年を演じ、私たちの視線を強く引き付ける。
「まず、瀬々敬久監督にお会いしたときに、『オレが俳優だったら、この役は引き受けない』と言われました(笑)。それなりの覚悟を持って台本や少年Aの手記を読ませていただきました。彼がどんな幼少期を送っていたか。彼が抱えていたどうすることもできない感情に対して、自分の中に全面的な否定ができないところが出てきました。本当にこれは丁寧に演じていきたい、監督と一緒に作っていきたいというところからスタートし、撮影現場でもずっとその手記を持ち歩いて。読みながら常に彼のことをずっと抱えながら演じ、現場にいました」
決めつけがない。かといって謎のベールに包んでいるわけでもない。その間から、人間としての、生き物としての真実らしきものがふと姿を現す瞬間がある。瑛太はそれを丁寧に形にしている。
「人間として生きたいという希望みたいなものを持っている人間なんですよね。決して他者を拒絶しているわけでもないし。そのあたりを芝居でどう見せていくかはいろいろ監督とディスカッションしました。記号的になり過ぎずに、人間として生きている以上、感情が動くことはきっとあると思いながら演じていました」
閉ざしている部分と、解放したがっている部分。そのない交ぜ感覚が瑛太ならではの演技表現になっている。
「様々な想像をしてもらえる作品になっていると思います。」
観客を信頼し、益田に扮した生田斗真を信頼した。
「斗真はどっしりと現場にいてくれる。だからこっちが何を仕掛けていっても大丈夫なんです。ある意味、そこに甘えるというか、委ねているところはありましたね。僕は自由に演じさせていただきました。斗真には、僕の芝居を感じ取って大きく包み込んでもらった感触があります。人と人とが友達になるときって理屈じゃないところがあるじゃないですか。そういう意味では斗真はやりやすかったですね。自分のことや俳優としてどんなことを考えているか、言葉で説明しなくても感じ取ってくれている。作品を良くしようというところで現場に一緒にいれる。役同士もその感覚に近いんじゃないのかなと。益田と鈴木も理屈抜きで吸い寄せられていったのだと思います」
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