放送作家とは、テレビ番組の制作において、なくてはならない重要なポジション。ときにスタッフを陰で支え、ときに彼らの陣頭指揮をとりながら、日々、面白い番組を作るために心血を注いでいる放送作家だが、“スポーツ系放送作家”を自称し、現在「グッド!モーニング」(テレビ朝日系)などを担当する安野智彦氏もその一人だ。
「僕はもともと高田文夫さんのラジオが好きだったんですけど、大学4年の冬に就職情報誌で古舘プロジェクトの放送作家募集を見つけて。『高田先生と同じ職業だ!』と思って応募したのがこの世界に入ったきっかけです」
かくして1993年、古舘プロジェクトに参加。以降、スポーツ中継やスポーツニュースを中心に放送作家の活動を続けてきた。
「いざこの世界に入ってみると、先輩の作家たちがすご過ぎて、自分にはバラエティーは難しいなと。そんな中で『筋肉番付』シリーズ(1995~2002年ほか、TBS系)を担当していた先輩たちを手伝っているうちに、スポーツを手掛けるようになりました。もともとスポーツは好きでしたし」
折しも格闘技ブームが到来し、「INOKI BOM-BA-YE」(2000年ほか、TBS系ほか)や「Dynamite!!」(2003年ほか、TBS系)といったビッグプロジェクトにも携わった。
「古舘伊知郎さんの実況用に資料を集めたり、選手のキャッチフレーズを作ったりするのが仕事でした。事務所の作家で1人につき200パターンくらいのフレーズを考えるんですが、それが面白くて。柔道の経験があるので、古舘さんに関節技を実践で説明できるのは武器でしたね(笑)」
2004年に古舘司会の「報道ステーション」(テレビ朝日系)がスタートすると、スポーツコーナー担当として参加することに。
「“知られざるヒーロー”を取り上げることを信条にしていました。1979年夏の甲子園の“箕島×星稜”(和歌山県代表・箕島高校と石川県代表・星稜高校が延長18回まで戦った伝説の試合)のドキュメントが特に印象に残っています。これは亡き先輩作家の言葉ですが、『最後は愛なんだ』と。制作者が取材対象に愛を注いだ番組は、必ず視聴者に伝わると思っています」
スポーツ中継における放送作家の仕事は他ジャンルとは異なる部分もあるという安野氏。
「中継では、テロップの文言を考えるのも大事な仕事ですが、メダルを獲った場合と獲らなかった場合とか、あらゆる事態を想定して何パターンも用意しておきます。一瞬の出来事で、用意していたことが全部引っくり返る。瞬発力は求められますね」
そんな安野氏が今後のテレビ界に対して思うことは?
「今は人々の好みが細分化していて、地上波のテレビが娯楽の王様であり続けることは難しいです。でも、平昌五輪の女子カーリングみたいに全国民が盛り上がる出来事は、いつの時代もあるわけで。そんなとき、テレビが世間に及ぼす力は、まだまだ大きいと思います」
そのような状況の下、安野氏の放送作家としての役割は?
「僕のような作家は、番組にとっては、野球チームで言うところの助っ人外国人みたいなもので。その考え方でいけば、僕は決して4番や5番ではなく、8番打者(笑)。長打はないかもしれないけど、確実にバントを決めますよっていう。僕の目標は“最高の8番”になることですね」
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