――また、明松さんと言えば、「ガリタ食堂」をはじめ、ご自身が出演する機会も多かったわけですが…ご本人としてはノリノリだったんですか?(笑)
「いやいや、僕、自分から『出してください』なんて一回も言ったことないですから!(笑)」
――そもそも一番最初にスタッフとして出演した企画は?
「最初は、1997年の年末に放送された『河野少年愚連隊』で、光浦(靖子)さんが、河野雅人さんという役者さんに恋をしたので告白する、という企画でした。その中で、河野さんは本当に女性が好きかどうか、色仕掛けでチェックしようということになって、そのチェックマン役を僕がやったんですよ。男性が大好きなゴリゴリの酒場の店員役で、出番が終わって『面白かったのかな?』と不安に思いながらモニターベースに戻ると、みんなゲラゲラ笑っていて。そのときに、『僕が出て面白くなるんだったら、まぁいいか』と(笑)。そこからいろいろな役で出演させられるようになってしまいましたね」
――「めちゃイケ」と並行して、他の番組にも多数携わられていますが、特に印象に残っている番組は?
「2002年から2年半くらい、『笑っていいとも!』(1982~2014年、フジテレビ系)の木曜日を担当していたんです。笑福亭鶴瓶さんなどが出てらっしゃったんですけど、毎週木曜の朝、『めちゃイケ』の編集所を抜けて、新宿アルタに行って、また夕方に編集所に戻る、というのがお決まりのスケジュールで。『めちゃイケ』とは全く異なる生の臨場感が最高に楽しかったですね。
それと、楽しかったといえば、プロデューサーとしてデビューさせてもらった『フジ算』(2010年フジテレビ系)。若手ディレクターがお笑い芸人とタッグを組んで面白いVTRを作る番組でした。。またああいうのをやればいいのに…と僕なんかは思うんですけどね。ちなみに、この番組で認められた当時入社7年目の後輩ディレクターたちが、その後『ピカルの定理』(2010~2013年フジテレビ系)を作ることになるんです」
――「ピカルの定理」も、「めちゃイケ」のようにもっと長く続けたかったのでは?
「そうですね、若手の芸人さんを発掘する番組は、テレビ局として絶対にやり続けるべきだと思います。そして、金の卵を見つけてスターになるチャンスを提供し続けるのがテレビ局の使命です。ただ、発掘番組の次のステージが、いわゆる選抜された芸人によるユニット番組なのかどうか…そこは正直、僕にはちょっと分からないです」
――そして2016年の8月には、制作畑から離れ、営業局へ異動されました。
「営業の上司から当時言われたのは3つでした。1つ目は、営業には、テレビについて制作者の視点で語れる人はほとんどいないので、番組を作ることの面白さを、社内でも社外でもどんどん伝えていってほしい、と。2つ目は、フジテレビのファンを増やしてほしい、と。そして3つ目は、新しい“営業発の番組”の形を作ってほしい、と。営業で何をするべきか、全く分かっていない僕でしたが、一気にスイッチが入りましたね」
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