「名前をなくした女神」(2011年)、「ファースト・クラス」(2014年)、「モンテ・クリスト伯 -華麗なる復讐-」(2018年、全てフジテレビ系)など、話題のドラマの企画を数多く手掛けてきたヒットメーカー・太田大氏に直撃インタビューを敢行。作品を企画する上で心掛けていることや、作品に懸ける思い、そして自ら「ターニングポイント」と語る、現在新シリーズ「TERRACE HOUSE OPENING NEW DOORS」が放送中のリアリティーショー番組「テラスハウス BOYS×GIRLS NEXT DOOR」(2012~2014年)の誕生秘話も語ってくれた。
──太田さんはフジテレビに入社後、まず報道局に配属されたそうですね。
「2003年に入社して、その後5年間、報道局で社会部の記者や昼のニュース番組のディレクターなどを務めました。報道も希望で配属されたのではあったんですが、元々はドラマや映画をやりたいと思っていて。気持ちが年々強まっていき、毎年異動の希望を出し続けて、6年目でようやく希望が叶い、現在の編成局に異動になりました。
ただ、今にして思えば、報道局時代はすごく大事な5年間だったと思います。自分は社会部の記者としては全くの落ちこぼれではありましたが、それでも、“事実は小説よりも奇なり”的なさまざまな事件を目の当たりにすることができましたし、関係者の声を直接聞くこともできましたから。ドラマを制作するときも、まず取材から始まるので、ドラマ作りの基本を学ぶことができたのかなと思っています。
編成局の編成部は、タイムテーブルを決めて運用していくデスク班と、番組を作る企画班に分かれていて、僕は企画班の方に配属されたんです。そこでの仕事は、編成の観点で制作スタッフをサポートしながら、自分たちでも制作会社と一緒に番組の企画を作る、という部署で。僕も色々と企画を出したんですが、自分は面白いと思っていたことが、ここでは通用しませんでした。ドラマというのは、どんなに小さな番組でも数十人の人たちが動かなければ完成しない。それだけに、そんな簡単に企画は通らないんだという当たり前のことを学びました。
自分が企画した中で初めて手応えを感じた番組は『TOKYO本音モデルズ』(2009年)ですね。当時、東京ガールズコレクションの全盛期で、そこの裏側に入ってモデルたちの姿を追う、ドラマかドキュメンタリーか分からないものをやりたいと思ったんです。トップモデルだったマリエさんや藤井リナさん、名前が世に知られる前のローラさんの3人のキャストで構成する、リアリティーショーのような番組で、『自分がずっとやりたかったのはこういうものだったんだ』と思えた最初の作品です」
──その「リアリティーショーのような番組」に対する手応えが、「テラスハウス」へとつながったのでしょうか?
「なかなか企画書が通らなかった時期に、先輩が読んでいた企画書のデザインが非常に好みで、『この企画書を書いた方にお会いしたい』とお願いして引き合わせてもらったのが、(制作会社の)イースト・エンタテインメントの松本(彩夏)プロデューサーでした。話してすぐに、2人ともフォントマニアだったり、デザイン性の高いものに惹かれるというような趣味嗜好がぴったりと合い、常々やりたかった“欧米のリアリティーショーみたいな番組”を、この人と一緒に作りたいと思い立ち、そこから2人で、2009年ごろから企画書を出し始めたんです。従来の日本のテレビによく存在していた、ルールとゴールがある恋愛バラエティーではなく、若者たちの生態をただただ切り取っていきたい、という思いで。同じ考えと志を持つ人と企画を作っていくのは楽しい作業でしたし、何としても実現させたいと思ったので、企画をブラッシュアップしながら出し続け、3年目でようやく日の目を見ることとなりました。『テラスハウス』は僕にとって、まさにテレビ制作者としてのターニングポイントになった番組ですね」
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