──太田さんがこれまでに企画したドラマは、女性を主役にした、人間の闇を描いた作品が数多く見受けられますね。
「“社内イジメ”をテーマにした『泣かないと決めた日』(2010年)という作品に、先輩に付いて携わったとき、編成局ならではの、王道のドラマに対するカウンターパートとしての企画の作り方を、その先輩から多く学びました。恋愛ドラマに代表される王道のドラマは局内のドラマセンターが背負い、編成のドラマ班としての仕事は、ある意味で隙間産業的な、企画性やエッジが立った作品を作っていくことで良いカウンターパートであれ、という精神です。この作品のように人の裏側を描くドラマは本来やりたかったことですし、その後に企画した“ママ友”のコミュニティーを描いた『名前をなくした女神』や、ファッション業界の女性たちの“マウンティング”にスポットを当てた『ファースト・クラス』といった作品も、報道局時代の取材で経験した、、“人や事象には必ず裏側や多面性がある”という感覚に基づき、社会性と企画性の強いドラマを作りたい、という思いから生まれたものでした」
──では、太田さんがドラマを企画する上で心掛けていることは?
「作品を見て『尊厳を踏みにじられた』と思う人が生まれないようにする、ということですね。特に社会事象を描く上で、何かしらのネガティブな要素は絶対に付いてまわるものですが、その要素が誰かを傷つけるものであってはならないと考えています」
──ちなみに、今年の春クールに放送された「モンテ・クリスト伯 -華麗なる復讐-」は、それまで太田さんが手掛けてきたドラマとは少し毛色が違う印象を受けました。
「たまたま復讐劇の企画でずっとやりたいものがあり、提案し続けていたのですが、そんな中で、局内で『モンテ・クリスト伯』の原作をドラマ化したいという機運がだいぶ前からあったので、だったらということで自分がやることになりました。
(メイン監督を務めた)西谷(弘)監督とは、復讐する主人公だけではなく、復讐される側もステレオタイプな悪いヤツではない、魅力的な存在として描こう、という話を終始していました。『モンテ・クリスト伯』というのは、禁じ手が全くない作品で。脚本の黒岩(勉)さんの考え方とも合致して、先ほども話した『見ている誰かを傷付けること』以外は、何でもやってしまおうと。自主規制も忖度も一切なしで、細かいことは気にせず思いっきりやってみたんです。結果、新しいやり方を学ぶことができましたし、だからこそ、言葉はよくないですが、中毒的にご覧になった方が少なくなかったのかなと。非常に手応えのある一作になりましたね」
──今後、ドラマの中で描いてみたいテーマはありますか?
「引き続き、男たちの友情の光と影、みたいなものをやりたいです。『若者のすべて』(1994年フジテレビ系)や、ハリウッド映画の『スリーパーズ』(1997年)、韓国映画の『映画は映画だ』(2008年)のような、絶対的に分かり合えないはずの男たちが静かに友情を紡いでいく話。『モンテ・クリスト伯』でもそのエッセンスは少し取り入れようとしましたが、今後さらに踏み込んで描いてみたいなと。そこに、その時代ならではの社会問題も掛け合わせていきたいと思っています」
──「テレビは元気がなくなった」などと言われる昨今ですが、太田さんは地上波テレビの未来について、どのように考えていらっしゃいますか。
「テレビ局員としてはもちろん、現状のシステムに則って、きちんと放送して、視聴率を獲る、ということを目指すべきだと思うんですが、それと同時に、コンテンツのファクトリーの一員として、どれだけいいものを生み出せるかということも、真剣に考えていかなきゃいけないと思うんです。“地上波か、ネット配信か”という、デバイスが何かということよりも、やはり視聴者を惹きつけるのは、コンテンツのクオリティーだと思いますし、僕自身も、中身で勝負できるようなコンテンツを作っていけたらと思っています」
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