芸人なら自由な発想で笑いをつくればいい 小波津正光<演芸集団FECリレー連載>

2018/10/10 04:00 配信

芸能一般

基地がある沖縄の現状を笑い飛ばす舞台「お笑い米軍基地」誕生のきっかけ


【写真で見る】基地問題で感じた沖縄と本土との“温度差”


1993年にFECに入団。お笑いコンビ「ぽってかすー」を結成し、県内で活動した後に上京。東京で芸人活動をしていた2004年8月13日、沖縄国際大学に米軍のヘリコプターが墜落する事故が起こる。

「全国紙ではアテネオリンピックや読売ジャイアンツオーナーの電撃辞任ばかりで、墜落事故が報道されなかった。腹が立ってライブで事故を一面に扱った沖縄の新聞を掲げ『沖縄がこんな大変なことになってるのに、お前らはアテネオリンピックで盛り上がっている場合じゃないだろ』とお客さんに説教したら、大ウケした」

その体験が「お笑い米軍基地」を作るきっかけとなった。県外に普天間基地を紹介する通販番組のパロディーや、医師が患者にがん告知をする瞬間に戦闘機の爆音でかき消されてしまうコントなど、2005年の初演から基地がある沖縄の現状を笑いに変えている。

咽頭がんを発症、芸とは何かを考える日々


「芸人はもっと自由に笑いを表現したらいい」と話す小波津。


2015年8月には咽頭がん治療のため一旦活動を休止。3カ月後の復帰公演では未経験だったタップダンスを披露して回復をアピール。以降、落語や歌、ダンスなどあらゆる芸をライブに取り込んできた。

「入院している時に、自分は今までお笑い芸人としてやってきたけど、俺がやってることは芸といえるか考えるようになって。とりあえず芸と呼ばれている音楽やダンスなどにチャレンジした。去年ライブで歌った時には、こんなの笑いになるのかって思うことが、曲や詞を乗せることで感情がうまくお客さんに伝わることに気づいた」

今年25年目を迎えるFECについても、改めて思うことがある。

「ようやくフリーエンジョイカンパニーという意味を考えるようになった。達樹さんはやっぱりすごいなーと思って。その時はノリで付けたと思うんですよ、大学のサークルだし(笑)。若手にはFEC立ち上げ時のように自由にやって欲しいし、僕らはそれを伝えていかないといけない」

11月4日(日)に開催する旗揚げ公演「演芸集団FEC25周年祭」では全ての演出を担当。漫才をはじめ、マーチングで旗などを使って音楽を表現するカラーガードで、琉球舞踊に合わせ演舞する「かぎやDEカラーガード」や、ラップ・エイサー・ドラムを融合した「ラップDEエイサー」など、沖縄の伝統芸能を新しい形で表現する。

「お笑い芸人ならもっと自由な発想で、笑いとは何か、芸人とは何かを常に考え、いろんな角度で楽しみを提供しなければいけないんじゃないかな」

少年のような笑顔で新しいことに挑戦していきたいと語す小波津。その自由さが、沖縄芸人の可能性を体現しているのかもしれない。

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