――作品の中心になっている、八雲と助六の関係性について、岡田さん自身はどのように捉えて演じられていますか?
お互いを高め合ってはいるけれど、一人が嫉妬に焦がれてしまうという関係性は、僕も芸能の世界にいるので、気持ちがすごく分かるんです。
「同じものを持っているのになぜあの人だけ」とか「僕の方が…」という目線で見てしまうことが、たくさんあります。ただ、そういう気持ちがないと自分を高めていくことはできないんだと思います。
菊比古にとっては、助六は懐が深くて、全てを受け止めてくれる存在だったんだろうなと思います。菊比古と助六との出会いがこの物語の始まりでもありますし、演じていても切っても切れないつながりを感じています。
僕自身も、「助六が亡くなってしまったら、菊比古はどうなってしまうんだろう」と考えましたし、そのシーンを撮影した時には本当に胸が締め付けられました。
僕は結構人見知りなので、なかなか共演者の方々と話せなくて、現場の雰囲気作りとかどうしようかなと思っていたんです。特にこの役は、落語も覚えなくてはいけないので余裕もなくて。
役作りで自分を追い詰めていた時に、山崎さんや与太郎を演じている竜星(涼)くんが支えてくれて、一緒にいてくれるだけで安心したので、菊比古にとっても二人はそういう存在だったんだろうなと思いました。
人って誰かといなきゃ駄目なんだなということを現場を通して感じられて、そこから現場でも自然体でいられるようになりました。
それに気付くまでが地獄の日々で…部屋の電気もつけたくないくらい、気分が落ちちゃって…だからみんなと仲良くなってから明かりをつけるようになりました!(笑)
――八雲の初弟子である与太郎と接するときに、師匠としての演技で意識している点はあるんでしょうか。
与太郎に対しては、諭すように話しながら、挑発しているような感じを、どちらもうまく取り入れて調和できたらいいなと思いながら話しています。師匠としてもそうですし、落語家としても、人生の先輩としても。
与太郎、第1話で師匠の高座で寝ちゃってますからね(笑)。あれは良くないですよ!
――落語家役をやってみて感じたことはありましたか?
落語を練習していると、自分がどうしてもやりたい噺とかが出てくるんです。
八雲と違って、与太郎や助六はみんなを笑わせるネタをすごくやっているので、それを袖で見ていると、「僕もちょっと笑わせたいな…」とか思ってきちゃうんです。だから助六のネタのテキストとか持ってきて、練習したりしました(笑)。
自分のネタを練習しないといけないから、「こんなの覚えている時間なんてないのに!」とは思いつつ、欲が出てきちゃって。
そうやって、自分に合った落語を見つける作業って、自分との戦いなんだなということを感じたりしました。
――落語を面白いと思ったきっかけはあったんでしょうか?
これは本当に贅沢なことなんですけど、例えば僕が「数日後には『死神』をやります」となったら、指導のために目の前で喬太郎師匠がやってくださるんです。それが本当に面白いんです。
僕のためにやってくださるので、それほどいいものはなくてですね! 見逃さずに学ばなくてはいけないので「この空間だけは自分のもの」と思いながら見させていただいてます。
時事ネタとかも入れながら、楽しませながら学ばせてくれて、あの時間は代えがたいものです。
それにすごくうれしいこともあって、喬太郎師匠が僕の「品川心中」を見てくれた時に「面白いね」って言ってくださったんです。また何日か後にお会いした時に「触発されてこの前寄席で『品川心中』かけちゃった」ともおっしゃっていただいて、こんなにありがたいことはないし、「やった!」と思いました。
――落語を学んだことで、今後の演技に生かされることもあるんでしょうか。
落語は、自分がどういうふうに見えているかを客観視しながら演じることが大切なので、自宅で鏡の前で稽古をしたんですけど、そうすることで意外な発見もあったり。
今、この取材を客観的に見たら、僕は相当ダメなんですけど…(笑)。だけどそういうことを認識することも、この仕事をする上で大事なので、落語を知れて良かったと思いました。
落語家さんは普段のお話もすごくお上手なんですけど、僕は全然うまく話せないので…ちょっと反省します。
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