――番組を見ていて、何か一つでも共感できることがあれば、ということですね。
そうですね。でも正直、僕も分かるのは8割くらいです(笑)。結局どうやったんやろ?みたいな(笑)。
だけど、その状態で保存しておく。今の時代、複雑なものと単純なものがあったら、単純なものの方が優秀だっていう風潮があるじゃないですか。複雑なものを単純化させて説明できるとすごいと思われるけれど、単純なものを回りくどく言うと、「何やそれ」って思われてしまう。
でも僕の考えでは、複雑なものは複雑なんやから、それを単純化させるとウソになってしまうというか。価値としては、複雑なものも単純なものも一緒やと思うんですよ。それがなぜか、「複雑なものは格好つけている」みたいなことになってしまってるんですよね…。
物事を理解できていて、それを理解できへん人に伝えられる人が偉い、というのは分かるんですけど。でも僕は、自分が分からんことやからと言って、「こんな難しいもんはいらん!」とは思わないです。何やったら、全部分かってしまうことの方が嫌ですね。
僕、台本は読むときと読まないときがあって。他の番組やったら読むんですけど、「ヘウレーカ!」は読まないんです。…と言うても、別にサボってるわけではなくて(笑)。この番組では、初めての状態というか、何も分かっていない状態で臨みたいんです。だって、もし自分が分かっていることだったら、収録が始まってすぐ、「こういうことですよね?」とか、結論を言ってしまいそうで(笑)。
まぁ、そうやって、答えを当てる気持ち良さもあるんですけど、「これ、どういうことやろ。分からん」っていうことを、先生にクイズを出されて、答えて、「違うんですよ」って言われて、「ちゃうんですか?」って、だんだん分かっていって、最後に「あっ、そういうことか!」ってなるのが好きなんです(笑)。その気持ち良さがいいんですよね。でも、これはもしかしたら現代的ではないのかもしれないですね。
――確かに、今のテレビ的ではないのかも…。
今はもっとキャッチーですぐに分かるものが多いですもんね。「ヘウレーカ!」は、最後まで見て、そのときは分かったとしても、次の日友達に話そうとすると、結構難しかったりしますからね。
「あれ? 自分は何を分かってたんやっけ?」ってなる。でも、それがこの番組の魅力ちゃうかなと。複雑な物事を解体して理解しようとする姿勢も大事やけど、それでも単純化しきれないものって、実はすごく重要やと思うんですよね。
淡々と、かつ熱っぽく、「又吉直樹のヘウレーカ!」の魅力を語ってくれた又吉直樹。尽きることのない“ヘウレーカ論”は、後編へと続く。11月28日(水)中に公開予定のインタビュー後編では、専門家の先生との対話で感じたことや、番組のナレーションを務める吉村崇とのエピソードを披露する。
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