――「全日本歌謡選手権」の思い出はありますか?
当時、歌手になる登竜門として、私は完全にアマチュアで出場しました。
1週目で忘れられないのは、当時私は中学生で、体育の時間に右足を骨折して松葉杖で出場したんです。ターンテーブルを回って後ろにランプが付くと合格なのですが、3週目までケガのためターンテーブルに乗れなかったんです。
だから、合格したときの本来の感激を残念ながら3週目まで味わえませんでした。その分、4週目から勝ち抜くたびに忘れられないほどの熱い思いがこみ上げてきました。
――ドラマの見どころを教えてください。
「約束のステージ」というタイトルが素晴らしいですね。ドラマに出演して、改めてあの当時この番組があって「天童よしみ」が生まれたんだという喜びと感激がこみ上げました。
「全日本歌謡選手権」は実力だけでは生きていけない芸能界で、夢に向かって歌の実力を試す、実力で打ち勝ってみせるという気持ちで挑む方が多かった番組です。それがドラマ化されることが本当にうれしいです。ものすごい感動が生まれるのではないかなと思っています。
――「全日本歌謡選手権」の思い出はありますか?
1973年「スター誕生!」に合格し、東京に上京して「全日本歌謡選手権」という番組を知りました。「全日本歌謡選手権」は、アイドルを探す「スター誕生!」とはまた違う緊張感で、真の歌唱力が求められ、厳しい審査員の批評に見ている方もハラハラドキドキでした。
中条きよしさんの「うそ」は、同じ年の音楽祭はご一緒しましたね。上京中に見ていて特に印象的に残っているのは、真木ひでとさん、山本譲二さんです。
今回審査員役で出せていただきましたが、五木さん、八代さん、天童さんからも、当時の良くも悪くもいろんな思い出話を聞きました。私はスタ誕!出身ですが、皆さんと共通していることは、もうあの緊張は味わいたくないという事です。
――「全日本歌謡選手権」の思い出はありますか?
北島三郎の弟子となりまもなく、当時26歳だった僕は周りからの勧めもあり、“売れない歌手”としての挑戦を決意しました。
10週目の歌のゲストは五木ひろしさんでした。43代目のチャンピオンとなった僕に、五木さんは花束とともに一言「今日から君の人生が変わるから頑張って!」と温かい言葉をいただきました。
しかし、その後「みちのくひとり旅」が売れるまでにさらに6年かかりました。つらいキャンペーンを続ける毎日でしたが、全日本歌謡選手権を10週勝ち抜いたという誇りだけで突き進み、苦労にも耐えることができました。
そんな全日本歌謡選手権がドラマ化されること、また出演させていただいたことに喜びを感じながら、当時の記憶をめぐらせる機会になりました。
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