――実次という役については、どのような印象を受けましたか?
台本を読んでいて、僕の父に近い部分があるなって思いました。
僕の親父はすごく変わった人で、子役時代に大先輩にかつらを投げて、歌舞伎辞めてしまったんです。なんでかつらを投げたかっていうと、親父とその弟の萬屋錦之介と中村嘉葎雄たちが怒られて、それに対して「こんにゃろう! 俺はもう辞めてやる!」ってカーッと熱くなっちゃったからなんです(笑)。
親父は歌舞伎を廃業して、その後に錦之介も歌舞伎をやめて東映に行くんです。そしたらうちの親父は、勤めていた銀行を辞めて、東映のプロデューサーの仕事を始めたんですよ。それで、錦之介の映画はほとんど僕の親父がプロデュースしているんです。
そういう、本当に弟思いで昔かたぎなところとか、まっすぐで何も間違ってないんだけど、はたから見てると面白いところとかが親父と実次さんは似ていると思います。
――お父様に似ている部分もあるとのことですが、実次を演じる上で意識していることなどはありますか?
声を大きくすることです。「田舎者だから声が大きい」って言われてるシーンもあるので、そこは意識してます。うちの親父もちょっと声がでかかったんですよ。
弟思いでうそがなく、田舎者だから声が大きい(笑)。宮藤さんの脚本を読んだときの気持ちを大切に、そのまま演じるようにしています。
――第3回(1月20日放送)の、四三を東京に送り出すシーンでの鼻水を垂らしながらの演技も話題になりましたね。
僕の家系と勘九郎さんの家系は、感情が込み上げてくると鼻水が出やすいんです(笑)。
舞台のときは鼻から糸を引いててもそのままにしてますけど、テレビは鼻水が出すぎちゃったら大体カットされるんです。でも、今回の見送りのシーンは一発OKでしたね。
自分では鼻水が見えてないので、オンエアーを見て、「あーすっごい出てるな」と思いました。どうでもいいことかも知れませんが、あの鼻水は本物ですよ(笑)。
――熊本弁が非常に自然に感じるんですが、難しくなかったんでしょうか?
先日亡くなった志水(正義)さんが、方言指導で入ってくださっていたんです。
実は僕と勘九郎さんは、クランクインする前に、監督と志水さんと「熊本弁はどれだけいけるだろうか」という打ち合わせからしていて。訛り過ぎてしまうとお客様に伝わらないし、その絶妙なさじ加減の方言を志水さんが考えてくださったんです。
今は、志水さんから引き継いだ方が熊本弁のせりふを吹き込んでくれたCDを家で聞いてイントネーションを覚えています。
CDでイントネーションだけを叩き込んで、現場でちょっと変更したものを耳で覚えて。あとは自分の気持ちをいれていつも通りに芝居をするんですが。
音で覚えるということは、どこか歌舞伎のせりふの覚え方と重なるんですよ。歌舞伎っていうのは、「口立て」と言って、先輩に教わりに行って、先輩がお手本として言ってくださるせりふを録音させていただいて、家でその言い回しを物まねすることから始まるんです。
そういう意味では方言の覚え方も似ているような気がします。
――実次としては、四三が東京へ出てマラソンで活躍している姿を見て、どのような思いだったと推察されますか?
実次は家族と弟のことが大好きなんですけど、父を早くに亡くして長男としての責任もあるので、子どものときから四三に厳しくしてきたんですよね。だから自分にはできなかったことをしている弟の活躍は、非常に喜ばしいことだったんじゃないかなと思います。
僕の家族の話になっちゃうんですけど、親父は歌舞伎を廃業した人間なので、僕が「歌舞伎をやりたい」と親父に伝えたときに、「歌舞伎の世界で手助けすることはできないけど、精一杯やんなさい」って言ってくれて。
舞台とかは観に来てくれたことなかったんですけど、初めて歌舞伎で主役を務めさせていただいた舞台で、幕が開いたら真正面に親父がいたんです。
何もできないって言いながら、陰で心配していろんな人に頭を下げてくれてたっていうことも後から知って、なんかそういう思いも役に反映されていると思います。
親父に重ね合わせるつもりはないんだけど、やっぱり台本を読んでいると親父の顔が浮かんでくるんですよね。
――2月24日(日)放送の第8回では、四三の渡航費を渡すために上京するシーンもありますが、どのような思いで演じられましたか?
あのシーンでは、「弟のために!」って張り切っている実次さんのお人柄と、弟を思う気持ちが現れていると思います。
自分では気づいてないんだけど、あらゆる目に入るものが新鮮で、いかにも“おのぼりさん”な様子で都会にきたっていう感じも出てると思います。
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