瑛太という演じ手は、映画『シザーハンズ』('90)の主人公を思わせる。
エドワード・シザーハンズ。両手がハサミの状態でこの世に生まれ落ちた人造人間。優しい心の持ち主ながら、意図せずに相手を傷つけてしまう危険性がある。誤解を受けやすいパンキッシュな見た目。周囲の偏見の増長が、彼の繊細な内面を追い込んでいく。
エドワードを体現したジョニー・デップのルックスや演技アプローチと接点があるわけではない。他者がビジュアルから感じとる凶暴さと、本人の胸のうちには明らかな隔たりがあり、そのギャップと落差ゆえに強烈なインパクトを観る者に残し、いたたまれない気持ちにさせる。そんな場所に連れて行ってしまう、アンバランスな存在感が瑛太の表現には備わっている。
初期の出世作『青い春』('01)での鋭利な刃物のようなテクスチャから、近作『光』('17)での地獄に我が身を投げ出す尋常ならざるピュアネスまで。その印象は変わらないどころか、より一層、深いところでうごめき、アメーバのごとき生命力を解き放ち続けている。
『友罪』('18)の瑛太はそのような、もはや「持って生まれた」と形容する他はない個性が、血管を流れる血のように平然と横行し、観る者に迫り問いかける。
ある猟奇的な事件の容疑者だったと思われる青年。かつて「少年A」と呼ばれ、日本全国にその名を轟かせた人物を、瑛太はここで演じている。実話ではない。モチーフとなった現実の事件があるだけだ。だが、瑛太が画面に派生させる脈動は、フィクションを超えた生々しさで、人間の輪郭を私たちに植え付け、無関係ではいられなくする。
生田斗真扮する元ジャーナリストも近づき、彼と友情を育むが、一生忘れえぬ「後ろめたさ」と無縁ではいられなくなる。
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