新元号「令和」開始まであと2日。平成最後の「昭和の日」に、平成の終わりと新時代令和の幕開けにふさわしいイベントが開催される。NAONのYAON 2019。女性ロックバンドのレジェンド「SHOW-YA」プロデュース、日比谷野外音楽堂で開催される女性だけのロックフェスティバルだ。イベントのスタートは1987年=昭和62年。つまり昭和から平成、そして平成から令和へと3つの時代をまたぐ歴史的なフェスティバルといえよう。同イベントの旗頭であるSHOW-YAのボーカリスト・寺田恵子と今回が初出演となる島谷ひとみの対談インタビューをザテレビジョン独占で敢行。ともに昭和生まれながら、年齢はひと回り以上離れ、そして音楽ジャンルも違う二人。インタビュー後編では、女性とロックについて、来たる令和時代の音楽との向き合い方などを聞いた。
ーーそもそも寺田さんが女性だけのロックフェスティバルを始めようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?
寺田「きっかけは単純。デビュー当時にTHE ALFEEが10万人コンサートをやったのをニュースで聞いて悔しいって思って。こういう人たちに勝てる事、できない事ってなんだろうって思った時に、女性だけのライブイベントやったらどう?ってラジオで言ったら面白いってなって始まったの」
島谷「そうなんですね」
寺田「女性バンド、女性アーティストが増えてほしいって言う思いがずっとあって。女性ってデビューするとアイドル扱いされる事も多いじゃないですか。そうじゃなくて、技術として、1アーティストとして認められるべきだと思っていて。そんな思いで続けてきましたね。今は、このイベントがみんなが集まれる場所になればいいなって。今ってCDは売れないし、音楽番組も少ない。音楽をやっている人にとって居心地のいい場所、帰ってこれる場所になればという思いでイベントを続けています」
ーー何歳ぐらいまでイベントを続けていきたいですか?
寺田「何歳ぐらいまでって聞く?(笑)。そうだね、歌える間はずっとかな。年齢を重ねれば、体力だったり、喉だったり、体は老いてくるわけだから兼ね合いも出てくると思うんだけど、イベント自体は歌えなくなってもやれないことはないと思うしね」
ーーSWOW-YAさんは来年でデビュー35周年ですね。
島谷「すごいです。私も今年20周年なんですけど、ここから10年20年が遠いんですよ。これまでは大人たちが背中を押してくれて歩いて来れたけど、ここから自分で歩いていくのが険しい道のりで。続けられていることが本当にすごいことですよね」
寺田「続けて来られたのはスタッフがいるからかな。やっぱり続けていれば腐りかける事もあって。CDが売れない、テレビやメディアに出られない時ってすごく腐る時もある」
島谷「ありますよね」
寺田「自分が変わったわけじゃないのに、ね。努力をしていても、周りの環境が変わる事もある。そんな時、やはり仲間やスタッフが支えてくれたから続けて来られたんだと思う。一人で戦い抜くのって本当に大変。うーん、一人でやるぐらいだったら海外に一人で行って、のたれ死んでいると思うよ。ギター弾きながら、現地のサックスプレイヤーと一緒に演奏して、冬に雪の中でのたれ死んでやる(笑)」
島谷「私たちの仕事って資格も保証もない。会社と違って、明日にでもやめられるもの。病気をしちゃうと店を畳まなくちゃいけない。そういうギリギリのところ、不安定な精神状態の時もあったし、綱渡りで来た事もあって。10年、20年後も音楽を続けたいという思いはもちろんあるけれども、意気込みであって保証はない。ただ、先輩たちがこういうステージを作ってくれて、そこに立つことで、きっとまた音楽の魅力に夢中になって、続けていく決意がより固まるんじゃないかなって思います」
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