――田中さんは、信長サイドでは出ずっぱりらしいですね。
田中:それなんですけど、じっくり台本を読んでみたら意外にそうでもなかったです(笑)。
彦摩呂:いやいや、そんなことはない。ずっと出ていまっせ。
田中:だって、出ずっぱりと言ったら、ずっとメインで舞台上にいると思うじゃないですか。私のファンの方は、「悪ノ娘」や「ふしぎ遊戯」のときを上回る出番だと期待されているかもしれないし、それはちょっと大げさだったので訂正させてください(苦笑)。
でも、たくさん出ています! 「春の陣」「冬の陣」より出番はずっと多いし、セリフもものすごく増えています。新曲もありますし、彦摩呂さんも褒めてくださったので、歌はもっともっと頑張りたいと思います。
――「夢幻」にて今回の3部作は完結しますが、稽古を通してどんなことを感じていますか?
彦摩呂:「春の陣」「冬の陣」は、ここにたどり着くためのものだったと言っても過言ではない3作目。“平成の記憶”を持った武将がいることの意味、それは彼らの葛藤を深く深く描くことにあったのだと。歴史を知っているが故の、歴史に沿うべきなのか、反してでもなのか、という葛藤がこれでもかというくらいに表現されているんですよ。
田中:最終章ということで、人物の動向もびっくりするところがたくさんです。「この人、こんなことするの?」「そんなこと言う!?」って、稽古をしながら自分でも物語を楽しんでいる感じです。それだけに、「ああ、最後なんだな…」という実感が湧いてきて、寂しくなるときもありますね。
今でもたまに浅井長政様(亡くなった市の夫)とのシーンを思い出すんですよ。でも、ああしておけば良かった、こうしておけば良かったということばかりです。
「春の陣」のときは、着物での所作は難しいし、分からない時代言葉に頭を抱えて、自分のことだけでいっぱいいっぱいで、周りを見る余裕がなかったんですよね。他の人のことではなくて、人物の関係性をです。
1年経ってもまだ私がこんなに引きずっているということは、市は長政様のことをそれだけ愛していたということなんですよ。「だったら、あのときのセリフはもっと違う感情の入れ方だったのに!」って、イチからやり直したいくらいです。「信長」が始まった頃は、ここまでこの作品が私の心に残るものになるとは思っていなかったです。
彦摩呂:そういうれいなちゃんの成長が、市の成長でもあるんですよ。織田家の娘から始まって、長政の妻になり、茶々の母になり、今は織田家に戻って信長を支えている。そういう市の成長過程を、彼女自身がしっかり追えているんです。
役を成長させられる女優さんはすごいと思うし、れいなちゃんはいっぱいいっぱい言うてますけど、市は彼女以外は考えられないハマリ役ですわ。
武家の娘である腹のくくり方とか、れいなちゃん本来の強さと役がガチッと合わさっていたと思います。
――役の成長という部分、田中さん自身は意識していましたか?
田中:考えていないわけではないですけど、それを計算して、みたいな意識はしていないです。私の中では市であることに慣れていったという感覚で、あとはこの1年、お芝居への気持ちがどんどん高まっていったのが大きいと思います。
何がきっかけかは分からないんですが、あるときから舞台への本気度が上がっていった感じなんです。もちろん、それまでも本気で取り組んでいましたけど、そこからさらにその上が見えてきた、みたいな。
周りとのお芝居の合わせ方、セリフのひと言ひと言の意味を昔以上に考えるようになって、市の気持ちが私の中に自然に入ってくる感じなんです。
彦摩呂:役も歌も、感覚的につかんでんねん。前菜からメインディッシュ、スイーツまで、表現者として必要なことの全てを持っているからできることなんです。
――それを彦摩呂さんのフレーズで表すと?
彦摩呂:田中れいなはエンターテインメントのフルコースや~!
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