柔らかくなった節子の心は、それまでであれば表に出すことのなかった想いを解放させていくのだが、良い面だけではなく悪い面も等しく顔を出す。ありのままの自分で世の中と対峙するということは、ごまかしが利かず、逃げ場がなくなるということ。受け入れられれば良いが、拒絶されたときのダメージは計り知れない。けれど、ありのままの自分で他者と関わらなければ、自覚することのできない己の一面がある。良い部分も悪い部分もすべて吐き出してこそ、自分という人間の器が見えてくる。たとえ結果が伴わなかったとしても、最後の最後までやり切ったのなら絶対に何かが残るはず。それこそが自分にとって大切なモノになっていく。
何かにつけて人は「変わりたい」と口にするけれど、人は変わるんじゃない。より深く自分という人間を理解していくのだと思う。逆立ちしたって、自分という人間の性質までは変えられない。良き部分を伸ばすためには、自分に何ができて何ができないのかを把握する必要がある。汚い部分を抑え込むためには、直視するのが嫌になるくらいまで自分の醜さや卑しさと向き合う必要がある。そこまでして初めて、自分が最も輝けるすべを見つけ出せるのだ。そのためには、数多くの失敗や挫折も必要。挑戦しなくちゃ、打ちのめされなくちゃ、何が自分にとって大切なのか見極められない。
感情のままに突っ走り、惨めでカッコ悪い自身の嫌な部分を思い知らされる節子。すべてを出し切った彼女だからこそ、最終的に残ったモノが何なのかを見極められる。自分の良さもクソな部分も熟知してこそ、より良き自分に巡り会える。抜け出したくても抜け出せない日々を過ごす者にとって、最上級のキッカケを、“変わる”のではなく今ある自分を見つめ直すことの大切さを教えてくれる作品です。
第90回アカデミー賞主演女優賞&助演男優賞を獲得したマーティン・マクドナー監督作品。何者かに娘を殺害されたミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)が、一向に犯人を特定できない警察への批判のメッセージを広告看板に載せたことで生じる騒動を通し、他者の心に歩み寄ることの難しさと大切さを描いた作品です。
『オー・ルーシー!』を通じて、人がそう簡単に変われないことをあなたは目の当たりにすると思う。だが、本作は相手に変化を要求し、相手からも変化を要求される物語。当然かみ合うはずがない。圧倒的な理不尽さを前に、ミルドレッドは怒りの矛先も見いだせず、過去から抜け出すことも許されず、やり場のない想いを抱え苦しんでいく。そのシコリを取り除かない限り、前を向いて生きていくことはもちろん、自分を見つめ直すことなど到底不可能なことに思えてしまう。
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