疑心暗鬼の中では、自分のすべてをさらけ出すことなどできやしない。誤解なく相手と関われればいいが、同等の痛みや喜びを知る者でなければ理解し合えないこともある。それができないから、看板しかり、間接的に想いをぶつけることでしか相手の心を推し量れない。ただ、良くも悪くも行動を起こせば波紋を呼ぶ。周りには迷惑な話かもしれないが、光が見えないのなら手当たり次第ぶつかっていくしかない。数打ちゃ当たるわけでもないが、中には共に歩める者がいるかもしれない。劇中において動物と相対した時のミルドレッドの姿こそ、仮面を外した彼女の姿。憎悪にとらわれることなくあの姿をさらせる相手がいたのなら、心の重荷は軽減できる。己と向き合う余裕も生まれる。そんな相手に巡り会うためにも、やはり行動を起こし続けていく他ない。希望の中にも常に絶望は潜んでいて、絶望の中にも常に希望は潜んでいる。
詰んだと思っても、歩みを進めるための方法は何かしら残されている。行動を起こすことで生じる波に乗れたのなら、光明を見いだすために必要な忍耐力や執念を維持していける。キツイ戦いになるのは必至だが、いつの日か自分を認めてあげられるところまで到達できるはず。
常に変化を追い求めてしまいがちなこの世の中で、変わることより大事なことを、今あるモノの中にこそ価値ある何かが眠っていることを強く示してくれる2作品です。
ぜひご覧ください。
長野県出身。1986年生まれ。映画アドバイザーとして、映画サイトへの寄稿・ラジオ・web番組・イベントなどに多数出演。『GO』『ファイト・クラブ』『男はつらいよ』とウディ・アレン作品がバイブル。
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