知久寿焼がスナックで飲みながら語る「たま」のこと、「イカ天」のこと

2019/07/06 11:00 配信

バラエティー インタビュー

知久寿焼インタビュー!


たまで活躍した知久寿焼


番組収録後すぐ、収録場所であるスナックで知久寿焼がインタビューに応じてくれた。

――まず、番組出演の感想を聞かせてください。

楽しかったですよ。真っ昼間からビールも飲ませていただいて(笑)。大谷さんも少し飲んでくれたけど、スタッフには申し訳なく思ってました。

――普段からお酒はかなり飲まれますか?

毎日飲みますね。最近は昼から飲むことはなくなりましたかね。昔は朝から飲んでましたけど、痛風になって、さすがに諦めました(笑)。

――ダイノジ大谷さんと共演されたことは以前にありましたか?

初めてです。昔のバンドブームのこととか、すごいお詳しくて。「らんちう」の歌詞を拾ってくれたのはうれしかったですね。詳しく知っていてくれる人と話すのは楽しいですよ。たまだけでなく、自分のソロ曲のことも好きだと言ってくれて、うれしかったですね。

――番組の中で、これまでソロではCDを出していないとおっしゃっていて(2月に初のソロCDを発表)、とても意外でした。

何回か、録りかけたけど、仕上げられなかった、そういうことです。ライブの方が好きということもあるかもしれないです。今回もリリースをやってくれる会社に子どものころからたまが大好きだった女性がいて、彼女が尻をたたいてくれたんで録音した形ですかね。同時発売した2枚のうち1枚は、あれこれいろんなところに発表した音源を集めたものです。

――CDをリリースしなくてもいいという考えがどこかにあるのでしょうか?

なくても、日々には、僕としては問題がない。ライブで歌って、お客さんが来てくれて、生活ができているから十分なんです。でもあちこちに歌いに行ってると、家でも聴きたいからぜひアルバムを作ってほしいと言われる。お客さんにそういう気持ちがあるんだなと知って、そろそろ出した方がいいのかなと思ってはいました。

――ライブ中心の生活ということで、今後行ってみたい地域はありますか?

まだ行けていない北陸とかその周辺。新幹線も通ったことだし。だけど、それにも増して、ツノゼミのことに時間を取りたいんですよね。今54歳になって、この先の時間でどれだけ調べられるか。そっちにも時間をたくさん使いたい。僕が調べているのは東南アジアのツノゼミで、時間が必要でね。

――たまのことで一つだけ、柳原陽一郎さんの脱退の時の思いを聞かせてください。

正式に脱退した時はもう、しょうがないって感じで。なぜかというと、最初に石川(石川浩司)・柳原・僕で始めて2年たった時に、彼はもう辞めたいって言ってたんですよ。それを僕が口八丁手八丁で説得して。

続ける条件にベースを入れてもう少し音楽的にしたいというのが彼の要望で、それで滝本晃司が入ったんです。

柳原さんはムラっ気があって、その時期その時期でいろんな人格になるんですよ。たまたま僕らと調和できる時の彼だったから一緒にバンドをやれた。

それは僕や他のメンバーにとってはすごくラッキーだったと思うんです。彼がいなければ、たまがこんなブームになっていなかったと思うから。

4人でやって、彼が心底からやりたいと思っているわけではない音楽で売れてしまったのは、今にして思えば申し訳ない気もします。それまでよく付き合ってくれたなあ、と。だから辞めるって言われた時は、これ以上引き留められないな、という感じでした。

――音楽性の相違のようなものがそこにはあったんですかね?

音楽性はもともとばらばらでした。でも、バンドをやっている間は、へなちょこ好きというか、全員一般的でないものへのこだわりみたいなものがあったから。それぞれに好きな音楽を聴かせ合って、車の中でこれもいいねそれもいいねって話していたから、特に隔たりを感じてはいなかったですけどね。

――最後の質問です。番組でカラオケを披露されていますが、普段も行かれますか?

今日のようなスナックじゃなくて、カラオケボックスに行くことの方が多いですね。自分よりも若いバンド友達と行って歌います。京都のライブに来てくれた女性に、「お母さんの店に遊びに来てください」と言われて行った店はこんな感じのスナックでしたかねえ。

歌うのは演歌が多いですかね。J-POPはだめですね。昔のフィンガー5とかは歌いますよ。日本語が洋風の発音に崩れてからの歌は歌う気がしないんですよね。