上西星来、愛するメンバーとの“絆”「もう一生嫌うことはないんだろうな」<TPD×TTV連載(1)前編>

2019/08/09 06:00 配信

アイドル インタビュー

いつでもお花屋さんのCMができそうなくらいのハマりっぷり撮影=永田正雄


――そもそも、子どもの頃からアイドルになりたいと思っていたんですか?

幼稚園の頃の夢は“アイドル”で、幼稚園の卒園文集には「私は絶対アイドルになります!」って書いてあるんです。

絶対アイドルになると思っていたから、家では窓を鏡に、リモコンをマイク代わりにして、ずっとアイドルのまねをしていました。そんな私を見ていたお母さんも「この子はアイドルになりたいんだな」って思っていたみたいです。

――アイドルになるためにアクションを起こしたことも?

小1の時、ハロプロのオーディションを受けました。第2次、3次と進んだのですが、結果的に不合格。それからは、アイドルになりたいとは思わなくなっていて、それよりも雑誌が大好きだったのでその世界に入りたい、モデルになりたいって思い始めたんです。

でも、学校の友達にはなかなか言えなくて…。1人の親友だけに「モデルになりたい」という話をしました。だから、人前で夢を発表するような“1/2成人式”とかでは「バレリーナになりたい」と言っていましたね。

その後、中学校3年生ぐらいからはCAさんになりたいなと思っていたんですけど、高校1年生の時にオーディションを受けてみたら合格して、今こういう人生を歩んでいます。

――オーディションを見つけたときは「これだ!」って思ったんですか?

その時は「絶対、芸能人になる」とはあまり思っていなくて、母親がこういうオーディションがあるよって勧めてくれて、じゃあ受けてみようかなという感じでした。

――幼稚園の時にアイドルのまねをする娘を見ていたお母さんが「チャンスかもしれない」と後押ししてくれたんですね?

はい。本当にありがたいなと思っています。

――まだ、学生ですから芸能界入りを反対されてもおかしくない状況。

オーディションに受かって最終まで残って「東京に来てください」って言われても両親から反対されませんでした。

――オーディションに受かった時、CAやバレリーナになるという夢はもうなくなっていましたか?

なかったです。まずはグループ活動から始めるって聞いていたので頑張ってやってみようと。その中で、いろんなことを進めていけたらいいなと思っていました。

――モデルになりたいという夢は?

TPDの結成当初は、全く考えていなかったです。デビューしたタイミングの頃から少しずつモデルもやってみたいなって思うようになりました。

――学生時代の自分を分析すると、どんな女の子でしたか?

自分からは発言しない、手も挙げないタイプ。先生から「質問、ある人?」って言われても「はい!」と積極的に動くような生徒ではなかったです。でも、小学校6年生の時、急に先生に呼ばれて「学級委員やってくれない?」って言われたんですよ。

――先生は、何か感じるものがあったんですかね?

そうなんですかね(笑)。「あなたに学級委員をやってほしい」と。「あなたの一言でいつも全部がまとまるから」って言われたんですけど…。「あ、私そういうことできないんで」って。

――えっ、断ったんですか!?

はい、断りました。だから、学級委員はやっていません(笑)。

――先生にそこまで言われたら、例え「嫌だな」と思っても引き受けてしまいそうですけど、しっかりと自分の意見を持っていたんですね。

学校の廊下で断ったことを今でも覚えています。私は、そういう子でした(笑)。

インタビューとかで「星来ちゃんってどういう子?」って、他のメンバーたちが質問されることがあるじゃないですか? そういう時も「客観視していて、星来ちゃんが最後に意見を言うと、その通りになることが多い」ってよく言われるんです。もしかしたら、小学生の頃からあまり変わっていないのかもしれません。

――先生も、じょにーさんのそういう一面を見抜いて学級委員にしようと思ったんでしょうね。

もしかしたら、見てくれていたのかもしれないですね。断りましたけど(笑)。

――CDデビューの前に舞台「PLAY×LIVE『1×0』」やバラエティー番組「東京号泣教室~ROAD TO 2020~」に出演しましたけど、当時を振り返ってみていかがですか?

あの期間は忍耐力が鍛えられました。グループ活動に自分の青春を注ごうって決めてはいましたけど、やっぱり友達と遊びたい時期でもあったので。修学旅行にも行けなかったですから。でも、TPDとしてコツコツ頑張ろうって思いながら頑張っていたので我慢するということを学んだような気がします。

――高校生で親元を離れたわけですけど、ホームシックは?

もちろん、ありました。毎日が忙しかったので、家族と会う時間がなかったです。メンバーみんなで集まって泣いたりしていました。その時に、メンバーの存在って大事だなって。みんながそばにいたから、ホームシックも乗り越えられた感じ。たぶん、メンバー全員同じ気持ちだったと思います。 

――メンバーに助けられたことが多かったんですね。

みんなが頑張っているから、自分も頑張ろうっていう気持ちになれたし、落ち込んでいる場合じゃないなって。それまで家族とはずっと一緒にいたけど、東京に来てからはメンバーたちと毎日一緒。

学校に行くのも、レッスンを受ける時もいつもそばにいる。自然な感じで家族のような存在になっていましたね。

――「絆」という言葉では言い表せないような“つながり”があるのかもしれないですね。

メンバーとは友達という関係でもないので、何か変な感じですね。それぞれの良いところも悪いところも全部分かっているし、これをやったらどういう反応をするのかも想像できる。もう、一生嫌うことはないんだろうなと思っています。