「空⾶ぶタイヤ」と「デス・ウィッシュ」で考える“正義”の定義<映画アドバイザー・ミヤザキタケル連載>

2019/09/20 07:00 配信

映画

『空飛ぶタイヤ』 (C)2018「空飛ぶタイヤ」製作委員会


無自覚に自分を押し殺すことに慣れてしまっている者なら、失いかけていた正義を欲する心に、他者の痛みに寄り添う心に、赤松たちの勇気は一条の光を灯してくれる。仕方がないと諦めてしまう前に、最善を尽くせたかどうかを己に問う時間だって与えてくれる。諦めない強さ、正義を果たすことの価値、この現実を生きていく上で手放してはならない大事なことに気付かせてくれる力強い作品です。

『デス・ウィッシュ』(2018)


『デス・ウィッシュ』(C)2018 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved.


1974年製作の『狼よさらば』を、『グリーン・インフェルノ』(2013)などで知られる鬼才イーライ・ロス監督がリメイク。妻を殺害された外科医ポール・カージー(ブルース・ウィリス)が、復讐を果たすべく法を犯しながらも己の正義を貫く姿を通し、この現実社会にはびこる数多の理不尽や見失いがちな正義のあり方を描いた作品です。

『空飛ぶタイヤ』を観ることで、小さくとも力強い輝きがあなたの心を包むことだろう。だが、どうあがいたところで太刀打ちできないことが時にはある。誰もが赤松のように強いわけではないし、支えてくれる仲間がいるとも限らない。あくまでも法の下で戦っていた赤松とは異なる術を用いなければ、己が正義を果たせないことだってあるかもしれない。そんな時、あなたならどうするだろう。正義について、今一度突き詰めて考える機会を本作は与えてくれる。

誰だって胸にはらんだ負の感情は、抱え込まずすぐさま外へ吐き出したいし、やられたらやり返したい。そして、相手がやり返してこないよう完膚なきまでに蹂躙するか、どちらか一方が理不尽を耐え忍ばない限り、永遠に終わりなど来ない。だが、それらの行動に“正義”は宿っているのだろうか。「復讐」と「正義」の線引きはどこにあるのだろう。やったやられたを繰り返した果てに、本当に「和解」や「平穏」など訪れるのだろうか。