タイトルの通り、ロードムービーだ。
猫のナナが、飼い主である主人公の悟(福士蒼汰)と共に車で旅をしながら、悟の人生をリポートしていく。
この旅は、ナナの新しい飼い主を探すことが目的だ。しかし、子どもの頃から猫というものに対し並々ならぬ思いを抱いている悟が、なぜ、ナナに対して「もう飼えない」という判断をくだしているのか? ちょっとミステリー仕立てだ。
大事な猫だから知らない人には任せられない、と悟は信頼できる友人たちに連絡を取り、車で順に猫を連れていく。登場人物たちには、それぞれに人生があり、事情がある。そのため、新しい飼い主はすぐには定まらない。小学校時代の親友(山本涼介)、高校時代の友人夫婦(広瀬アリス、大野拓朗)、叔母(竹内結子)……。旅が進むにつれ、自然と悟の人生を振り返ることになる。そして、「もう飼えない」という謎も少しずつ解けていく。
悟の人生は、あらすじにしてしまえば、「悲しい」と感じられる設定に満ちている。ネタバレになるので控えるが、まだ若い悟がこんなにいろいろな出来事に遭遇し、別れが繰り返されることを、パッと聞いただけでは、「かわいそう」と捉えてしまいたくなる。でも、猫がいたのだ。
そうか、猫との交流はこんなにも人間に活力を与えるのか。
映画では、ナナの声を高畑充希が担っている。元気で、気ままで、自立心旺盛な雰囲気が合っている。設定としては、ナナの方では人語を解し、悟の方では猫語を理解できない。つまり、ナナの声は独り言のようなものだ。でも、二人の間には言葉ではないコミュニケーションがあり、愛情の行き来がある。要するに、人間にとって、猫は世界を体現している存在だということだろう。
一対一の関係だが、人間関係とはどこか違う。猫を見ていると、世界とはこういうものだろう、自然とはこういうものだろう、生と死とはこういうものだろう、ということがわかってくるのだと思う。猫側から人間がどう見えているのかはわからないが、少なくとも人間側からすると猫は世界だ。
これまで、友人知人が、猫との付き合いを仕事よりも優先したり、猫の死で仕事を休むほど憔悴したりすることが、私にはわからなかった。猫は家族だ、という考え方はなんとなく想像できるようで、実感は難しい。
ラスト近くの竹内結子の表情でなんとなくわかってくる。猫は人間を真に幸せにする。猫の思いと人間の思いは全然次元が違うものかもしれないし、コミュニケーションは完全には取れない。でも、ちょっとした仕草や行動が、人間に及ぼす力は計り知れない。人生を大きく動かす。
猫が苦手な人にだって、そのことは少しずつ伝わっていく。猫との付き合いを大事にする人を、周囲は目一杯尊重しなければならない。そこには、何かきらきらしたものがある。
看護師(戸田菜穂)の猫を病院に入れて良いか否かにまつわるセリフも良かった。
職場でも、病院でも、公共の場でも、どこでも、これからの社会は、人間と動物の交流を見守ることができる場所を作らなければいけない。
今、人間同士だけで社会を作る時代ではなく、他の生き物ともコミュニケーションを取りながら社会を作る時代が来たのだと思う。
私自身に、この先の人生で猫との深い付き合いか訪れるかどうかはわからないが、周りの人たちの猫との交流は尊重したい。人間と猫がコミュニケーションを取るシーンを見かけたら、最大限に慮りたいと思った。
作家。1978年生まれ。2004年にデビュー。著書に、小説「趣味で腹いっぱい」、エッセイ「文豪お墓まいり記」「ブスの自信の持ち方」など。目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。
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