脇あかり、今だから言える“本音”「ボーイッシュ担当は本当に嫌でした(笑)」<TPD×TTV連載(4)前編>

2019/11/01 06:05 配信

アイドル インタビュー

TPD×TTV連載第4弾は、東京パフォーマンスドールのダンスリーダー・脇あかりが登場撮影=永田正雄


――TPDのオーディションを受けようと思ったきっかけは?

実は他にもいくつか受けていて、その中の一つだったんです。高校受験もあったので、最後のつもりで臨んだオーディション。受かったら東京に行く、落ちたら大分に残るという自分の進路が決まる選択だったんです。

――もともと芸能界には興味があった?

小さい頃から芸能界に入りたいと思っていました。特に何かやりたいというわけではなかったんです。ただ漠然と憧れていて、モデルもやってみたいなという感じでした。

――人前で何かやることに抵抗は?

むしろ好きでした。どっちかというと「私を見て!」っていう精神(笑)。新体操やチアガールをやっていたので、いつか人前に立つお仕事ができたらいいなと思っていました。

――目立ちたいタイプだったということ?

“センター”がいいと思うようなタイプ。小さい頃は自分勝手だったんです(笑)。

――割と自由な感じ?

自由でした。周りのことを気にせず、自分勝手なことばかりやっていたような気がします。だから、地元の友達からは「昔のあかり、嫌いだった」って言われることも(笑)。

――あら(笑)。みんなを振り回しているなという自覚は?

特になかったですけど、私をグループに入れたら面倒くさいんだろうなとは思っていました(笑)。

――大分にいた頃、憧れていた芸能人は?

当時はAKB48の前田敦子さんに憧れていました。中学生の時に似ているって言われたことがあったんです。そこから気になるようになって、ステージでのパフォーマンスにも惹かれました。

――オーディションの話に戻りますけど「これはイケるかも」という手応えは?

全然なかったです。最初のオーディションは大阪だったんですけど、飛行機が遅れてしまって行けないかもしれないという状況だったんです。

結果的に間に合いましたけど、ほぼ終わる寸前に駆け込んだ感じで…。もうバタバタでしたから、絶対受からないと思っていました。

モンブラン越しの脇あかり撮影=永田正雄


――合格したと知った時は?

びっくりしたけどうれしかったです。これからやっていけるのかなという不安も全然なくて「やったぁ、東京に行ける!」って喜んでいました(笑)。

――上京して、ホームシックにかかったことは?

私より両親の方が寂しかったかもしれません。でも、3カ月ぐらいたって少し東京の生活に慣れてきた頃、「東京に出てきたんだなぁ」ってあらためて振り返ったら急に寂しくなったことを覚えています。

もう大分に戻れないんだなって。自分で決めた道だから後戻りできないと思ったらちょっと怖くなりました。