ロビンは、順風満帆の青春を送り、美人と結婚し、子どもができる。その若さの絶頂でポリオにかかり、首から下が全身マヒになって、人工呼吸器を付ける。
その後は、予想通りの展開だ。
初めは障害を受け入れられず、生を否定する。赤ん坊の顔もまともに見られない。だが、妻のダイアナ(クレア・フォイ)によって導かれ、「重度障害者は病院にいるしかない」という固定観念を捨てて退院をすると、表情がどんどん明るくなる。他人に援助を求めることができるようになり、助けてもらったあとに冗談が言えるようになる。抱きしめることができなくても、子育てを立派にやり遂げる。人工呼吸器を載せて移動できる車椅子を考案し、制作を友人に頼み、旅行に出かける。旅先でトラブルがあれば、平気な顔で助けを求め、冗談を交わす。他の多くの仲間にも車椅子を作り、重度障害者の社会参加の道を築く。
「最大多数の最大幸福」という言葉を聞いたことがある。ジェレミ・ベンサムの言葉で、哲学的な意味は難しくてよくわからないのだが、まあ、たぶん、簡単に捉えれば、「幸せな人が多いほど、幸せな社会だ」ということだと思う。自分が幸せになりたければ周囲の多くの人のことも幸せにできるように努力するしかない、ということだろう。
誰もが幸せに向かうことができる社会を作らなければ、たとえ自分が健康でも幸せにはなれない。
さらに言えば、自分が幸せになれば、他人も幸せに一歩近くのだ。
みんなで生きているというわけだ。
この映画の登場人物の中で一番苦労をしているのは、妻のダイアナだろう。でも、苦労が多大でも、ロビンが幸福になれば、ダイアナも幸福になれる。
人間と人間がつながっているというのは、つまりはこういうことだ。
もしも重度障害者になったら、ロビンのように生きたい。あるいは、もしも身近な人が重度障害者になったら、ダイアナのように生きたい、と思う。
だが、人間には様々なキャラクターがあるから、重度障害者となったとき、誰もがロビンのように振る舞える訳ではない。私も、ロビンと似たような行動を取ることはないと思う。でも、ヒントは得られた。自分らしいやり方で、重度障害と向き合うことができるかもしれない。どんなことがあっても、私らしく、幸せに向かって進めるかもしれない。
周囲の人を支える方法も、ダイアナのやり方だけではない。それぞれが自分のやり方を見つけるしかない。私にも、私らしいやり方で、自分や周囲を幸せにすることができるかもしれない。
この映画は、プロデューサーのジョナサン・カヴェンディッシュの両親の実話を元に作られたという。
エンドロールで、その両親の実際の映像が流れる。すると、胸にグッとくる。「実話」という言葉にグッとくる安易な人間にはなりたくない、と思ってきたが、やっぱり、「実話」ってものには力がある。「こういう人がいたんだ」と実感すると、感動が胸に湧き上がる。
意外性はない。しかし、とにかくいい話で、観て良かった。
作家。1978年生まれ。2004年にデビュー。著書に、小説「趣味で腹いっぱい」、エッセイ「文豪お墓まいり記」「ブスの自信の持ち方」など。目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。
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