フィギュアスケートの羽生結弦選手が出演した、ロッテ「ガーナミルクチョコレート」の新テレビCMが11月22日(金)より公開。「母ごころ」篇と題した新CMでは羽生選手が“爆盛りホットガーナ”作りに挑戦する。
また同時に開始するプレゼントキャンペーンに合わせて、羽生選手が自ら幼い頃の自分“こゆづ”の写真を選びながら、そのころのエピソードを語る。
そんな羽生選手がCM撮影後のインタビューでは、CMテーマに沿って「母」との思い出や自身の子どもの頃について語った。
――今回のCMタイトルは「母ごころ」篇です。羽生選手が子供の頃、お母さんとのどんな思い出がありますか?
食べるのがすごく遅くかったんですよ。あと、いっぱい(量)は食べれなくて。食べなさいってよく言われてた記憶が あります(笑)「これもちゃんと食べなさいね」という感じで、お世話してもらった記憶が強いですね。
――CMでは、子どもたちの楽しげな様子も映されています。羽生選手は、スケート教室で子どもたちが滑っている時のどんな姿が一番好きですか?
やっぱり一生懸命な姿ですね。(スケート教室で)最初はあまり集中できていなくて、(子どもたちは)ワチャワチャと はしゃいだりして大変なんですけど、スイッチが入ると一生懸命やるんですよね。
その瞬間がカワイイと思いますし、 そういう時に背中を押してあげたいなっていう親心みたいなものにもなります。原点回帰というか、自分の気持ちの中にずっと幼い頃の自分がいて。自分が昔、一生懸命やっていたのを覚えているので、その子(幼い頃の羽生選手)に対して、自分も真摯に向き合わないとなと思いながら、練習するようにしています。
――振り返ってみると、幼少期と少年期、羽生選手はフィギュアスケートに対して、どのように取り組まれていたのでしょうか。
始めたての頃は、とにかく姉についていこうと練習していました。(始めたのは)4歳だったので、そんなに記憶も定かじゃないんですけれど、とにかく最初は姉に追いつこうと思っていました。
その後、だんだん先生が厳しくなって、 すごく練習したくなくて(笑)、毎日毎日泣いて、「スケートやめたい」って言っていた記憶があります。(先生が本当に厳しいのは)期待してくださっていたからだと今は分かるんですけど、当時の自分にとっては、「なんでこんなに怒られないといけないんだろう」と思いながら練習していました(笑)
――青年期では、フィギュアスケートに対してどのように取り組んでいましたでしょうか。
その頃はやっぱり、自分のリンクが無くなったり出来たり、また無くなったりみたいなことを何回か繰り返していたの で、練習の大切さを改めて感じていました。
練習に対して、真面目に、積極的に取り組むようになっていましたし、 日本代表としての気持ちが強くなっていて。日本代表のジュニアの選手として、そしてシニア(クラス)上がりたての 選手としての自覚は、芽生えていたかなと思います。
――昔と今で、大会に出場する上で変わらない、自分だけのルールや心がけていることはありますでしょうか。
「勝ちたい」、「全力でやりきる」という気持ちの部分とか。そこは、昔から変わらないと思います。
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