――主演の山田さんとは初共演。実際に共演されてみて、印象はいかがでしたか?
初顔合わせの時に、山田さんが先にお部屋に入られていて、私が後から入ったんですけど、廊下がすごくいい匂いだったんですよ。分からないけど、たぶん山田さんなのだろうなって。
なので“たぶんいい香りの方”というのが最初のイメージです(笑)。
――幼なじみを演じるに当たって何か意識されたことはありますか?
私は普段から積極的にアプローチすることができないのですが、2回目くらいにお会いした時、山田さんから「タメ口でいいよ!」と言ってくださったんですけど、「あの…無理です」って(笑)。
でも、「タメ口の方が幼なじみとしてのいい距離感になると思うから」って言ってくださって、少しホッとしたと言いますか、その一言で一気にくだけられた気がしました。
――作品にちなんで、もし自分の大切な人が、自分だけのことを忘れてしまったらどうしますか?
理想は「相手の幸せを願うこと」だと思うのですが、現実にそういう状況になったら、そうは考えられないだろうなって思いました。
すごく苦しくてつらいことですし、もしかしたらこうすれば思い出すかもしれない、こうすれば…って、きっといろいろな方法を試してしまうでしょうね。
どこかで踏ん切りをつけて、もう諦めないといけないタイミングがくるまで、すごく時間がかかってしまうだろうなと思います。
――では、これだけは消されたくない「うれしい記憶」は何になりますか?
作品が決まって、その作品が放送された時の家族の顔は忘れたくないですね。
もう亡くなってしまったのですが、祖父と祖母にすごくご縁を感じる作品が多くて、初めて朝ドラに挑戦した時(「花子とアン」)、その直前に祖母が「朝ドラに出ている京子が見たい」って言ってくれて、ちょうど受けていたオーディションに受かりました。
それも祖母が亡くなる直前のことだったので、強く記憶に残っています。
祖父が亡くなる時は、もともと病気で入院していたんですけど、本当に直感で「会いたい」って思って北海道まで会いに行ったんです。その時、ずっとここにいたいなって思ってしまったんですけど、祖父から「おまえはやるべきことがあるし、行くべき場所があるから、東京に戻ってやるべきことを全うしてこい。頑張ってこい!」って送りだしてくれて…。その3日後に祖父が亡くなりました。
今一緒に住んでいる祖母もいて、その祖母からは「あなたが頑張っているから、それが生きがい」って言ってもらえて、それがやっぱりうれしい。
家族のために何かをやれている自分、その時喜んでくれた家族の顔はすごく励みになる。それがパワーの源だからこそ忘れられないし、忘れちゃいけない。
それがなくなったら、何で頑張ればいいか分からなくなっちゃうと思うんです。
自分が何のためにここにいるのかを見失わずにいられるのは、家族のおかげなので、家族との記憶は忘れたくありません。
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