――増田さんといえば、選手のことを深く取材した上での解説が特徴的ですが、取材の際に心掛けていることはありますか?
“選手である前に人なんだ”ということですかね。選手としての強さや速さは見ていれば分かりますが、なぜこの人がこういうレースをできるのかということを知ってもらうために、その人が大事にしている言葉や、競技生活、子供の頃の性格など、人となりが分かるようなことを解説に入れたいなといつも思っています。
引退後、ラジオの仕事をやり始めた時に永六輔さんにお会いする機会に恵まれて。永さんが、「好きでマラソン中継を見ているけど、独走になった時ってなんかつまらなくなる」とおっしゃったんです。「増田さん、独走になった時に俳句の一句でも詠んだ方がいいですよ。飽きさせないように見せる工夫をした方がいいですよ」と。
実際に、自分の句ではないですが、「クイーンズ駅伝」(※宮城県で開催)ではコースが(松尾)芭蕉が歩いた道と反対をたどっているので、多賀城のところで芭蕉が詠んだ句を紹介しました。
永六輔さんからの影響はすごく大きいですね。飽きさせないということは永六輔さんから教えていただきました。
それから、2000年のシドニーオリンピックの時には、Qちゃん(高橋尚子)が、練習のジョギング中に(指導者だった)小出義雄さんと一緒に短歌を読んでいると言っていて。その時に披露してもらった「タンポポの 綿毛のように ふわふわと 42キロの 旅に出る」という句をいい句だなと思って、(高橋が)サングラスを取ってスパートをかけた際に紹介したんです。だから、短歌も私の中ではキーワードの一つになっています。
――今大会のキャッチコピー「最後は、私。」のように、最後の1枠に入るために必要なことはなんでしょうか?
限界だと思ったところから、もう一歩の練習をしてきた人が強いんでしょうね。それが一つと、もう一つは、人間力みたいなものがあるのかもしれません。日々の生活や人生の中で、どれだけ踏ん張ってきたかとか我慢してきたか、その一瞬にそういう強さが出るのではないでしょうか。
たぶん私に足りなかったのはそれなんですよ。おばあちゃん子で甘やかされて育ってきたので、我慢強くない。おばあちゃんのせいにはしたくありませんが、練習でも今までの人生でも、悔しい思いをしたとかつらい思いをしてきたとか、そういうのが出るのだと思います。
――最後に、解説者としての今後の展望を教えていただけますか?
“人”を伝えたいという気持ちは常にありますね。でも、私がずっとここにいたら若い人たちも大変じゃないですか。現場にいるのは好きですが、上手にたすき渡しをしながらやっていきたいなと思います。引退するわけではないですけどね(笑)。
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