――いつもは取材する側の宮瀬さん、今回、取材される側になるというのはいかがですか?
嬉しいですね。昨今若者のテレビ離れとか言われますが、テレビにはまだまだ良質のプログラムがあります。中でも自らが制作するドキュメンタリー番組は、いろんな人に見ていただきたい。そういう思いをお話できるのは、とても嬉しいです。
――まずは宮瀬さんのプロフィール的な部分からお聞きしたいと思います。フィギュアスケートの選手だったのに続けられなかったのは、なぜですか。
フィギュアスケートの選手歴は13年くらいかな?全日本選手権や国体にも出場していましたが、当時は選手としてだけで食べていくというのは考えられない時代でした。なのでコーチからは「引退したら、一般企業に就職しなさい」って言われたのを覚えています。もし就職しなかったら、コーチになるか、ショービジネスの世界に行くかという選択もありました。
――宮瀬さんが今の職業を選択されたのは、どういうことからでしょうか。
学生で就職活動をする時に仕事選びを大まかに分けると、「モノを売る」か「モノを作る」でした。自分はモノを作りたいと思ったんです。マスメディアがその一つでした。でもペンを握る才能はないと思ったので、自分のそれまでの経験を生かし、力を発揮できるのは(フィギュアスケートにつながるんですけど)プログラムや音楽を編集する作業に携わる方なんじゃないかと。ドキュメンタリー番組が好きだったので、そんな番組作りに関わりたいと思い、今の会社に入りました。
――テレビの番組作りにあこがれのようなものがあったんでしょうか。
実は、小学校の時にフィギュアスケートの中継を見て感動してテレビマンになりたいと思ったんです。学校の先生には「君には無理だ」って言われましたが(笑)、なるにはもっと勉強しなきゃ無理だぞっていう意味だと思うんですが、それからスケートは引退して就職しなければとなり、テレビマンになりたいという記憶が残っていて、就職活動で大学の就職課へ相談に行ったら、また「無理だ」と言われました(笑)。
活動1年目はどこのテレビ局にも入れずそれが悔しくて、就職浪人までして再挑戦しました。どうしてもテレビの世界に就職したかったんでしょうね。で、就職して、そこでドキュメンタリー番組を作りたいと言ったら、また「君には無理だ」って言われたんです。
そうやってずっと無理だ無理だって言われ続けて、でも諦めずに企画書を書きまくりましたね。何度転んでも立ち上がる。フィギュアスケートが僕に教えてくれたことです(笑)。入社してから少しずつですが制作をするチャンスをもらいました。今ではたくさんのアスリートや文化人の方々とお仕事をご一緒しています。
――取材対象者と仲良くなる秘訣というものはあるんですか?
これはよく聞かれるんですよ。一緒に仕事して、飲んだりして話していくうちに何となく本音を語ってくれたり…って感じで、実際のところうまく説明できないです(笑)。
――「シャイニングジャパン」にも出演されている人たちとはどういうきっかけで出会ったのですか?
最初ほとんどのコミュニティーは僕の友達です。広がりはその友達からの紹介や情報がきっかけになることが多いです。シルク・ドゥ・ソレイユで活躍するパフォーマーやニューヨークで活躍するアーティストなど海外で認められて活躍するすごい人たちも、日本に帰ってくると活躍する場がなかったりします。ラスベガスにブロードウェイ、バレエ専用のシアターがあったり、アメリカの方がエンタメ環境が充実しているのがよくわかります。
――世界に挑むすごい人たちを知ってほしいという気持ちとは?
まず、「夢を実現する為の第一歩」を知ってほしいんです。めちゃくちゃ頑張って挑戦したけれども物事は必ず成功に終わるとは限りませんよね。本気で挑戦したけれど当然ながら失敗や負けることがある。でも僕は、たとえ成功に終わらなくとも本気で挑戦した人たちをカッコいいと思うし、そういう人たちが大好きなんです。リスクを承知で日本から海外に飛び出してチャレンジしている人たちがいることを伝えたいって思いますね。
この「シャイニングジャパン」という番組をひとりでも多くの人に観てもらえることで、今後は日本でも出演している方たちの活躍できる場が増えてくれると嬉しいし、そう願っています。
――「シャイニングジャパン」は、いわゆるドキュメンタリー番組ですが、ドキュメンタリー制作で難しいことはなんですか?
一つは撮り直しがきかないことです。「もう一度話してください」ということができない。一瞬一瞬に懸ける想いが強いです。歩いている時、車に乗っている時、試合前なのか後なのかによって質問する内容が変わってきます。いくら密着取材といっても、スポーツ選手は負けているところを見せたくないし、悔し涙も見せたくないんです。それでも取材をしなければならない時もありますし、その時々の駆け引きというか、距離感が難しいです。
また、スタッフとのやり取りの中でカメラマンがいかに僕が求める必要な画を押さえてくれているか、そこで自分が思い描くような画がなければ、カメラマンとは想いがぶつかって喧嘩になる時もあります。でも実際はカメラマンに助けられることの方が多いですけどね(笑)。
ドキュメンタリー番組は決してひとりの力で作ることはできません。取材対象関係者の方々のご協力、僕の無茶な要求に応えてくれるカメラマン、有能な編集マンなど、いろんな方々に助けられ支えられて一つの作品が完成します。
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