2月4日、映画「Fukushima 50」(フクシマフィフティ)の特別試写会が東京・よみうりホールで行われ、キャストの佐藤浩市と吉岡秀隆が、監督を務めた若松節朗と共に登壇した。
2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災によって起こった福島第一原発事故。本作は、門田隆将のノンフィクション作品「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」(角川文庫刊)を映像化し、事故の最前線で死を覚悟して現場に残り続けた約50人の作業員の闘う姿が描かれている。
舞台に登場すると、主演の佐藤が「本日はようこそいらっしゃいました。(公開まで)まだ1ヶ月ほどありますが、日本全国の方々に観てもらうためにもう少し頑張りたいと思います」と挨拶。続く吉岡は「こんばんは。オマケみたいな感じになっちゃって、来てよかったんですかね?」と会場を和ませたが、「多くは語りません。あの日、あの時、あの場所で踏みとどまって闘い続けた人たちがいたんだということがわかっていただければ、それだけで幸いです」と思いを伝えると大きな拍手の音が鳴り響いた。
撮影に臨むにあたって気をつけたことを聞かれると、佐藤は「僕らは結果を知ってるわけです。最悪の事態は免れることができました。でも、あの時、あの時間にあそこにいた人たちはこれからどうなっていくのかわかってない。その恐怖と責任と、いろんなもの、あまりにも大きなものを背負いながらそこにいた。その気持ちを我々がどう表現できるのか。その時の何十分の一、何百分の一でも、これから見てくれる方々、これからまだ日本で生きる人たちに見て感じていただきたいというところに苦心しました」と回答。
吉岡は「当時、映画『三丁目の夕日』(『ALWAYS 三丁目の夕日’64』)を撮ってる時でした。爆発したと聞いて、その時にも闘ってる人がたくさんいるだろうと思い、東宝撮影所から北の空に向かって祈った思い出があります」と9年前の3月11のことを回顧し、「実在した方と打ち上げの時にお会いできまして、感謝しかなくて『ありがとうございました』と言ったら、『映画にしてくれてありがとう』と言ってくださいました」とうれしかった出来事を伝えた。
最後は、吉岡は「世界の渡辺謙さんと歩く日本映画のような佐藤浩市さんが先頭を切ってくれたから、こういう重い題材をテーマにした映画ができました。必ず見終わった後、感じることができますので、感じたことを誰かに伝えていただければ未来へ繋がる映画になると思います」と呼びかけ、佐藤が「この映画には津波などの震災の映像が多々あります。リアルタイムで経験された方、リアルタイムじゃなくニュース映像でしか見たことのない方、10年後、20年後もこういうことがあったと認識していただくため、それを忘れてはいけないため、この映画の中にそういうシーンが入っています。それを見ていただくことは、福島の方々、被災された方々、そして被災された方を身内に持たれる方につらいことだと思います。でも、皆さん踏ん張ってこの映画を見ていただきたいと思います。災害の爪痕を負の遺産のままで終わらせるのか、それとも人間の努力で遺産に変えて、明日明後日につなげるバトンに変えるのか。それは我々、人間だけができることです」という熱いメッセージで締めくくった。
映画「Fukushima 50」(フクシマフィフティ)は3月6日(金)公開。