「友だちのうちはどこ?」が映し出す“美しく理不尽な世の中”<山崎ナオコーラ映画連載>

2020/02/28 07:00 配信

映画

『友だちのうちはどこ?』(C)1987 KANOON


映画というものは、それを撮るものなのだ。アハマッドのセリフは少ない。大人たちも、怒ったり商売したりはするが、重いセリフや説明するセリフは全然喋らない。風景は長閑で、視点は低く、特別な映像はない。

でも、画面をずっと眺めていると、「理不尽」が美しく流れ、これが世の中だ、という感動が湧いてくる。

子どもだけでなく、大人も毎日、理不尽な目に遭っている。納得できないことで怒られたり、おかしな社会システムに首をかしげたりしている。

大人にとっても、日常は冒険だ。

私は小説家なので、言葉を使って日常を表現するし、綴ることで筋を作る。それだって面白い作業だ。

でも、映画は、言葉で言い表せないことを表現できる。日常というものが、言葉に置き換えられないもので溢れていることを、映像や音楽を組み合わせて時間の流れを作り、表せるのだ。

後半、妙に人間的魅力に溢れたおじいさんが出てくる。このおじいさんはなんなのだろう。これまでの大人と違って、アハマッドの話を聞いてくれる。しばらく一緒に歩く。そのお喋りは、重い話ではないのに、なんだか心が惹かれる。

アハマッドとおじいさんが別れたあと、すうっと、ドアの向こうのおじいさんの生活に沿ってカメラが動く。アハマッドをずっと追ってきたカメラが離れて、おじいさんを追うのだ。

このシーンになんの意味があるのだろう? と不思議に思うが、たぶん、意味はない。でも、妙に惹かれる。「生活」ということだろうか……、とにかく、すごく良いシーンなのだ。

そして、ラストがとにかく良い。グッとくるものがアップで映し出されたあと、すぐにスッと終わって、「ああ、いい映画を観た」という感覚がブワッと湧く。

山崎ナオコーラ


 


作家。1978年生まれ。『趣味で腹いっぱい』『リボンの男』、エッセイ『文豪お墓まいり記』『ブスの自信の持ち方』など。目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。

関連人物