昨年の「M−1グランプリ」で3位になり、そこから躍進を続けるぺこぱ。芸歴12年の彼らが、ここまでどんな道を辿ってきたのか。2人の人生に、迫ってみた。
松陰寺太勇(以下・松陰寺)「僕はもともと、コピーバンドをやっていたんです。GLAY、LUNA SEA、X JAPAN、あと好きだったWANDSを無理やりねじこんで(笑)。大阪の音響の専門学校に進み、そこから裏方のエンジニアに回りました。在学中に曲を作ったりしていたんですが、“やっぱり表に出たいな”と上京して。バンドメンバー募集のサイトを通じて、いろんな人とスタジオに入ってみたんです。すると、みんな上手過ぎる。“これは付いていけねぇな”と早めに挫折しました。ちょうどその時期に『エンタの神様』(日本テレビ系)とかでお笑いブームが来て、僕はクラスで笑いを取る方だったんで」
シュウペイ「えっ!?(笑)」
松陰寺「いや、マジだって! それで“松井祭”というピン芸人で活動していたときに、バイト先の居酒屋に現れた新人がシュウペイです。当時、彼は19歳、僕は23歳。雑誌でしか見たことのないギャル男が、縦ノリしながら食器を洗っていました」
シュウペイ「僕は高校までサッカーをやっていたんですけど、そのころ“ギャル男ブーム”だったんですよね。ファッションも好きだったから、目覚めちゃって。夏はサッカーで自動的に日焼けするけど、冬は黒くないとかカッコ良くないから、週2で日サロに通っていました。サッカー部で俺だけめっちゃ黒くて、“何で?”と言われたり(笑)。机の中に教科書は1冊もなく、『Men’s egg』が1年分そろっていて、友達が借りに来る『Men’s egg』限定図書室でした(笑)。高校を卒業して本格的にギャル男活動を始め、週末はクラブに行きたかったので、渋谷という立地だけでバイト先を選んだんです」
松陰寺「生まれて初めてギャル男を見た僕は、興味を持っちゃって。何を目指しているのか聞いたら“とりあえず伝説、作りたいです”と言うので、じゃあ一緒に伝説を作ろうとお笑い界へ誘いました」
シュウペイ「半年くらい、誘われ続けましたね。一応、松陰寺さんのネタを観にライブへ行ったこともあるんです。全く面白くないから、なおさらやりたくなくなっちゃった」
松陰寺「一番いいネタをやったのに、しっかりスベったっけ…」
シュウペイ「うん、俺の中にはスベった残像が今でも残ってる(笑)」
2008年 「先輩・後輩」という名でコンビ結成
「ナイスデイ」という事務所に所属するも、すぐフリーに足を高く挙げるツッコミスタイルの漫才を始める。初めて
のライブ出演。
2009年 BL(ボーイズラブ)のコント・漫才を始める。
2010年 オスカープロモーションへ移籍。
HIPHOP漫才を始める。
2013年 「ぺこぱ」に改名。松陰寺がホスト風キザキャラの漫才を始める。
2014年 松陰寺が和服にローラーシューズでステージを動き回るようになる。「うつけもん」に出演。
2018年 現在の漫才スタイルの原型が完成。
2019年 「おもしろ荘」優勝。サンミュージックへ移籍。「M−1グランプリ」3位。
2020年 今に至る。
この記事の関連情報はこちら(WEBサイト ザテレビジョン)