「M−1グランプリ」で話題!ぺこぱインタビュー「一緒に伝説を作ろうとお笑い界へ誘いました」(松陰寺)【前編】

2020/02/16 09:00 配信

芸能一般

【写真を見る】撮影中も“ヒューッ”と口笛を吹いてくれる松陰寺さん撮影=二瓶彩


芸歴12年のなかで、HIPHOP漫才がいちばん好き


それでも伝説を作るために、コンビ結成。最初は「ナイスデイ」という事務所に所属する。

松陰寺「見知らぬおじさんから“ナイスデイ”と書いてある名刺をもらって。うわっ、ついに声がかかった!と、事務所へ行ってみたら……」

シュウペイ「六本木にあるビルの地下だったよね」

松陰寺「ボイラー室と変電室しかないような地下室でネタ見せをやっていて、“こんなところに部屋があるんだ!”とまずびっくり(笑)。週に1〜2回ペースでネタを見せに通ったけど、その後にライブがあるわけじゃない。ネタ見せのためにネタを作る感じになって、“一体何をやっているんだろう”と思い、そのまま行かなくなりました」

ひと味違うスタイルのネタを作るのは、昔からの芸風だ。

松陰寺「初期は俺がツッコむたびに、足を高く上げる動きをしていました。もともと僕がツッコミで相方はボケでしたが、一時期ボケとツッコミを交代したんです。僕がネタを書くんですけど、彼がボケを覚えられなくて」

シュウペイ「ギャル男なもので(笑)」

松陰寺「ギャル男でもネタを覚えられるヤツはいるわ!(笑) ライブの本番直前に“覚えられないなら、俺がボケをやる”と伝えて。ネタを書いてるだけに、僕は全部覚えていましたから。相方が“ツッコミはどうしたらいいの?”と言うので、“ツッコまなくていい、ただ注意しろ”と」

シュウペイ「1〜2年くらい、その状態が続いたかな」

松陰寺「その後、ボーイズラブのコントと漫才を始めたんです。相方の顔が良かったから、“これならウケるんじゃないかな”という浅はかな考えで」

シュウペイ「僕は芸人になったときにギャル男をやめる予定だったんだけど、そのころはまだ金髪だったりと、名残があったんです」

松陰寺「端から見たら、ただのギャル男だったよ」

シュウペイ「俺としては抑えめで、イケてなかったけどね(笑)。でもBLをモチーフにしたおかげで、多少はウケるようになって」

松陰寺「男は笑わなかったけどな(笑)。それを2010年くらいまでは続けていたんだけど、その年に『M−1グランプリ』が終わり、ひとつの目標がなくなっちゃって。何か変えようと始めたのが、HIP HOP漫才。韻を踏みながらボケたりツッコんだりするネタで、しかも僕がまたツッコミに戻ったんです」

シュウペイ「リズムネタだったから、僕も覚えやすかったのかも。最初は音を流しながらやっていたけど、だんだんノレなくなってきて、最終的には音なしでやっていたよね」

松陰寺「お客さんは流れている音とのズレが気になるみたいだったので、音なしでやってみたら、事務所ライブで優勝したんですよ」

シュウペイ「僕は芸歴12年のなかで、HIPHOP漫才が一番好きです。今のネタよりも好き」

松陰寺「いや、今の方が絶対にいいって!」

シュウペイ「もしかしたら今年は、HIP HOP漫才で『M−1―』に出るかも知れません」

松陰寺「いや、出ないよ!(笑)」

ぺこぱ略年表


2008年 「先輩・後輩」という名でコンビ結成

    「ナイスデイ」という事務所に所属するも、すぐフリーに足を高く挙げるツッコミスタイルの漫才を始める。初めて

     のライブ出演。

2009年 BL(ボーイズラブ)のコント・漫才を始める。

2010年 オスカープロモーションへ移籍。

      HIPHOP漫才を始める。

2013年 「ぺこぱ」に改名。松陰寺がホスト風キザキャラの漫才を始める。

2014年 松陰寺が和服にローラーシューズでステージを動き回るようになる。「うつけもん」に出演。

2018年 現在の漫才スタイルの原型が完成。

2019年 「おもしろ荘」優勝。サンミュージックへ移籍。「M−1グランプリ」3位。

2020年 今に至る。