――第2部となる今作では、モビルスーツから降りてきたバララ(CV・中原麻衣)の足を、マスク(CV・佐藤拓也)がさりげなく押し出すシーンがありました。あの二人の距離感を見ると、マニィ(CV・高垣彩陽)はイラっとすると思うんですが、それぞれのキャラクターを演じる側からはどのように感じていますか?
高垣彩陽:第1部(劇場版『Gのレコンギスタ I』「行け!コア・ファイター」)では学生だったマニィが、第2部ではみんなを追いかけてキャピタル・アーミィに入って、そこで会ったマスクが海に向かって叫んでいる姿を見るんですよね。それだけで全てを受けて止めて理解して、「この人の向かう目標に寄り添っていこう」と、あのわずかな時間で察しているんです。だから、あの足を押し出すやりとりだけで、二人の関係も察していますよね。それから、マスクが生身でエフラグに飛び移るシーンでは、「こんなに『バララ』って叫んでいたんだ」と思って、ちょっとイラっとしました。命が危険なときはマニィを呼んでくれないんだって。
佐藤拓也:だ、だ、台本通りです…。
(会場 笑)
中原麻衣:こっち(バララ)からすると、いい感じでやっていたのに「勝手に入ってきて、え? 何?」というところはあるわけですよ。バララとマスクは大人な関係なわけです。ビジネスパートナーであり、べたべたはしないけど、「マスクは私のでしょ?」という気持ちがあるのに、急に来て、勝手にいい感じになって…。
佐藤:もうやめて〜。痴話ゲンカだから〜。
(会場 笑)
佐藤:マスクが悪かった。男性諸君は共感してもらえるか分からないですけど、マスクは自分の向上心があって、「こうなりたい」という思いを持ってキャピタル・アーミィに入るわけだけど、女の子が応援してくれたり認めてくれたりすることで、男の子は立ち位置を確立することができる。支えてもらってナンボ、みたいな。「やっぱり男ってダメね」と女性の方には分かってもらえたらうれしいなと思いますね。
――富野総監督は、男女関係の描き方など、こだわったところはありますか?
富野由悠季:今説明されたことを出るようにするために、それこそどれだけ考えたかということですね。それで、バララの足を受け止めるカットができたときには、「うまくいった!」って一晩中泣いていたくらいでした。人間関係をワンアクションだけで描けるということをやれたのは、50年近くやってきて初めてですからね。あのシーンには身震いもしたし、それこそエクスタシーを感じましたね。
――そういう所作のひとつにも“生々しさ”を感じたのですが、人間らしさの描き方はこだわられましたか?
富野:ベッカーがまさしくそうなんだけど、姫野惠二さんのああいう声、男性的なところだけでない、凶暴性も含めて人間性なんですよ。そういうにおいが全部のキャラクターになければいけないといつも思っています。
そして、さっきから話の中で大事なところが抜けていてイライラしていたんだけど、バララというキャラクターは、「Gレコ」に出ている中で、一番いい女なんです。それは、これから描かれる第4部から第5部にかけてのバララの行動性を見ているとわかるはずです。
――小山さんは、デレンセンがベルリとの戦いに敗れるシーンを演じたときのお気持ちはいかがでしたか。
小山剛志:一番印象的だったのは、最後のセリフだと思うんですよ。あのセリフは、テレビのときはいろんな複雑な感情を持って演じたつもりだったんです。驚きや、「ベルリ、やるな」というような感情を交えてやらせていただいた記憶があるんですが、今回の劇場版にあたっては、「そうじゃない」という富野総監督の演出がありまして。単純に“驚き”のみでやらせていただいたんです。改めて見ると、そっちの方が切ないですよね。死ぬ間際にそんなにいろんな感情が出ることはないので、こっちの方が切ないなと思いました。あとは、ケルベスがデレンセンの死に触れてくれたのはうれしかったですね。
富野:ありがとうございます。そういうふうに言ってもらえるとうれしいです。劇を組んでいる感じから見ると、客観的に説明が足りないようにも思えたので、あのシーンを追加しているんです。デレンセンの立場から見ると、そう聞こえてくるのかということは、今日初めて教えてもらいましたね。
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