DJ KOOがDJ BLUEとともにプロデュースしたJ-POPのリミックスアルバム「オドレーJAPAN! ~歴代オドレルJ-POP日本代表~」が、3月4日に発売された。
今回、DJ KOOに全3回にわたるロングインタビューを敢行。第2弾となる今回は、今年でDJ活動40周年となる彼がDJと出会ったきっかけや、TRFへ参加した経緯などを語ってもらった。
――TRFはユーロビートの印象が強くある方も多いと思いますが、KOOさんご自身のお好きなジャンルやアーティストはどういったところだったのでしょうか。
DJ KOO:僕はもともとロック少年だったんですよ。音楽始めたきっかけはギターだったんですけど、その前に小学校の頃に沢田研二さんが大好きで。沢田研二さんを追っていく中で、「ザ・タイガース」に行き着くわけです。
それで、ザ・タイガースのライブ盤を買ったんですけど、知ってる曲が全然出てこないんです。当時のグループサウンズは海外のバンドのカバーをやっていて、そこでローリング・ストーンズを知って、洋楽にハマったんですね。
僕は歌でセンターに立つよりも、ギタリストとしてちょっとクールにやってるところに美学を持っていて。ブラック・サバス、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルなど、そういう音楽は原点ですね。DJをやっていても「ロック好き」という部分はやはり持ち続けていて、ミクスチャーロック、デジロックとかは今でも大好きです。
――それからどういうきっかけでDJ活動に入っていかれたんでしょうか。
DJ KOO:バンドでいろんなコンテストやオーディションにも出場したんですけど、やっぱりうまく行かなくて。当時で言うと子供ばんどとか、そういう方たちがいろんなコンテストを総ナメにしてたような時代で。
ちょっと言い訳みたいになりますけど、当時は今みたいに専門学校も何もなかったんですよ。だからどうやってうまくなるかとか、どうやってプロになるかとか、よくわからなかったんですね。
そうして一度は諦めたけど、「やっぱり音楽をやりたい」と思ってディスコに通いだして。高校を卒業してからは、将来の目標は単純に「音楽をやりたい」ってことだったんですけど、具体的に何がやりたいっていうのはなかったんですね。
そんな中でディスコのDJを見て、お客さんが沢山入ってる中でも、DJだけは自分のポジションで、お客さんを束ねて煽っている姿に憧れまして。で、その頃通っていた専門学校のパーティーでDJっぽいことをやってみたら、「あれ? 俺、意外といけるな」って思って、DJの見習いになりました。
――「見習い」というのは、ディスコの店舗に所属するという感じですか?
DJ KOO:そうです。落語家さんのシステムに似てるのかな? そのお店にチーフのDJがいてセカンドの人がいてっていう感じで、そこに見習いとして入って、無給でウェイターをしながらDJを覚えていきましたね。最初はお客さんがほとんどいない時にプレーして、お客さんが帰ってから練習してっていう生活でしたね。
――そうした下積みのような生活は何年くらいやられてたんですか?
DJ KOO:半年くらいでしたね。当時はすごく縦社会で、変な体育会系だったんですよ。でも僕、高校時代3年間ずっとラグビーをやっていて、体育会系における振る舞いは鍛えられていたので、そこはすごく良かったです。
他のお店のどの見習いDJよりも早く、おいしいラーメンを歌舞伎町で買ってきたり…。優秀なパシリでしたね(笑)。そのおかげもあって、そんなに長い下積み期間でもなく、すぐにお店でデビューできました。
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