――そこからどういう経緯でTRFに参加される流れになっていくんでしょうか?
DJ KOO:そこから、今はヒップホップで有名なdj hondaくんと一緒に「The JG’s」というユニットを組んで、リミックスを作りだしたんです。当時のDJはまだレコードで回していたんですけど、「ここのサビが倍あるともっと盛り上がるのに」とか、「イントロがちゃんとリズムがあるとつなぎやすいのに」という発想で、編集の仕事を始めたんです。
それを実際に作ってお店で流していたら、洋楽のプロモーターの人たちが「これをぜひとも製品にしたい、プロモーション盤にしていきたい」と言うので、仕事を色々と受けたんですよ。
そこで初めて、ユーロビートのノンストップミックスを僕とhondaくんで製品化しました。いろんなアーティストの人のリミックス、ダンスミックスを80年代は沢山作りましたね。
それから90年代に入って、小室哲哉さんが横浜のベイサイドクラブというところで、当時ロンドンで流行っていた“レイヴ”を開催することになって。
それにあたってDJが必要なんでやらないかと、お店のスタッフから紹介されて行ったのがきっかけです。なので、その時はTRFをやる云々では全くなくて、そのイベントのDJとしての参加っていう形でしたね。
――そこからメンバーとなるのには、何かのタイミングがあったのでしょうか?
DJ KOO:小室さんのイベントに参加するってことで、ごあいさつに行ったんです。その時小室さんはスタジオでレコーディング作業をされていて。
当時、僕はすごく斜に構えたところがあって、「小室哲哉=ポップスを作る人」というイメージがあったんですよ。なので「僕らがやっているマニアックなリミックスとは違うんだろうな」と思っていたんですけど、スタジオに行った時、小室さんはシンセサイザーの音を波形を見ながら自分で作っていて。
機材も当時最新鋭の、僕らでは手の届かないような機材に囲まれているのを見て、「この人は日本で一番マニアックだし、情報にも機材にも一番通じてる人なんだな」と思って。
それであいさつした時に「明日もスタジオに来させていただいていいですか?」って言ったら、小室さんが「いいよ」って言ってくれたんです。
そこから僕は、小室さんの押しかけ弟子みたいな感じで、半年くらいは毎日通いましたね。何するわけでもないんですよ。ただ小室さんのやることを見ていたりするだけで。
そのうち小室さんに、「終わってからこれやっといて」と言われて残り仕事のようなことをやらせてもらいながら、一緒に海外レコーディングに行ったりする中で、TRFのプロジェクトに直接参加するようになった感じですね。
――バンドで言うところの、いわゆる“ローディー”のような感覚でしょうか。
DJ KOO:そうです、まさにローディー的な形でした。そんな時に小室さんが突然「KOOちゃんってラップできたっけ?」って聞いてきて。
「ええ、The JG’sの時にやってました」「じゃあちょっとこれラップ入れて」って言われて、TRFのアルバムの中に何曲かラップ入れたりしてましたね。だからその当時、アルバムを出すavexの人たちは、誰が何をやっているかってすごくわからない状態で…(笑)。
「これは単に小室さんのソロアルバムなの? それともユニットのアルバムなの?」っていう、手探りな感じだったと思いますよ。スタッフも僕らの売り出し方をどうしたらいいか、なかなかわからなかったんじゃないですか(笑)。
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