山崎ナオコーラが映画をテーマに等身大でつづるエッセイ。第14回は、無垢なる魂を持った青年ラザロが現代にもたらす奇跡を寓話風に描き、第71回カンヌ国際映画祭脚本賞など、数多くの映画賞を受賞した感動作『幸福なラザロ』(5月20日(水)夜6:50、WOWOWシネマ)を観る。
『胸がちくちくとした。悲しいということでもないし、怖いということでもないし、とにかく「ちくちく」と感じて、感想がうまく思い浮かばない。』
『幸福なラザロ』は、社会の成り立ちをえぐる映画だ。
ラザロ(アドリアーノ・タルディオーロ)の無垢な目に社会がどう映っているのか、観客は想像しながら映像を追っていく。ラザロというのはキリスト教の聖人の名前で、死後に復活した人物らしい。作品内のラザロは、富に目をくれず、兄弟愛に満ちた、いかにもな善人で、イノセントな若者だ。
社会から隔絶された農村での暮らし、そして復活後に都市で迎える結末が、現代のおとぎ話のように描かれる。
小さな村では、公爵夫人から小作制度の廃止を隠され続けた農民が貧しい生活を営んでいる。農民たちはラザロを利用し、ときに邪険にする。
公爵夫人がものすごい悪人かというとそうでもないし、農民たちもそれぞれ必死に生きているだけのようにも見える。だから、誰かによってこういう社会が作られているというよりも、そもそも世界というのがこういうものだ、という風に感じられる。私たちが実際に生きている今の社会には小作制度はないが、人間の根本は変わっていない。
公爵夫人の息子のタンクレディ(ルカ・チコヴァーニ、成長後はトンマーゾ・ラーニョ)が謎の人物だ。富をまといながら、詩的なセリフを連発して、トリッキーな動きをする。やはり、善人でも悪人でもない。だが、とにもかくにも、タンクレディのおかげでラザロはそれまでに味わったことのない感情を味わうことができた。
また、アントニア(アニェーゼ・グラツィアーニ、成長後はアルバ・ロルヴァケル)も不思議なキャラクターだ。ラザロと距離を保ちつつも寄り添う女性で、やはり善人でも悪人でもない。
彼らが小さな農村を出て、その後、都市での暮らしにも馴染めないことを、狼の声と共に、丁寧に追っていく。
主題が大きいのに、映画としての完成度が高い。答えがない問題だが、きっちりと箱に入ったものを渡された感じがして、観覧後に心が揺さぶられる。だから、いわゆる映画好きの人に受け入れられそうな作品だと思う。
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