SDGs(Sustainable Development Goals)とは、2015年9月の国連サミットにて全会一致で採択された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す17の国際目標。地球上の「誰一人取り残さない(Leave No One Behind)」ことを誓っている。
フィクションであれ、ノンフィクションであれ、映画が持つ多様なテーマの中には、SDGsが掲げる目標と密接に関係するものも少なくない。たとえ娯楽作品であっても、視点を少し変えてみるだけで、我々は映画からさらに多くのことを学ぶことができる。
フォトジャーナリストの安田菜津紀が、映画をきっかけにSDGsを紹介していき、新たな映画体験を提案するエッセイ。第3回は、『ガリーボーイ(2019)』( 6月15日(月)昼4:40、WOWOWシネマ)から「目標1:貧困をなくそう」「目標5:ジェンダー平等を実現しよう」について考える。
「アイデンティティ」という言葉を一番意識するようになったのは、高校生の頃だった。パスポートを取得するため自分の戸籍を見る機会があり、そこで初めて、父が韓国籍だったことを知った。既に父は私が中学2年生の時に他界していた。なぜ、そのことを隠していたのか、父が何を考えて生きてきたのか、もう死者に尋ねることはできなかった。
私なりにその言葉をつかもうと、ネットで調べてはみたものの、掲示板に並ぶ「在日帰れ」「朝鮮人は犯罪者」という言葉に、愕然としたのを覚えている。それまで、出自による差別は、教科書の中で知った南アフリカのアパルトヘイト政策のように、海の向こうで起きていることだとどこかで思っていた。私たちの足元で、自分では選べない生まれのために、こうして暴力的に言葉を投げつけられ続けてきた人たちがいることを、恥ずかしながら、この時初めて意識した。父が固く口を閉ざしてきた理由も、ここにあるのではないか、と。
身近な同級生の何人かには、父のことを話していた。「自分のこと、なに人だと思う?」「ワールドカップはどっちのチームを応援するの?」。悪気のない彼女たちの言葉に、苛立ってしまったことも少なくなかった。でもそれは、そこに自分なりの答えを持てずにいる、私自身への苛立ちだったのだと思う。これまで全く触れてこなかった「在日」や「韓国」をアイデンティティにもできず、かといって「日本人だ」と言い切るのは、父の存在を否定しているかのように感じられた。
ラッパーのFUNIさんと出会ったのは、私が大学生になってからだ。今、神奈川県の川崎がヒップホップの新たな「聖地」として盛り上がりを見せている。彼はその中でも在日コリアンの集住地域である桜本で生まれ育ち、当時は「KP」というラップ・デュオとしてメジャー・デビューを果たしていた。たまたま携わっていたイベントで歌うFUNIさんを見て、自分が今まで「後ろめたい」ものかのように思っていた出自を、こうして堂々と歌い上げる姿自体に衝撃を受けた。私はヒップホップに詳しくなかったものの、このジャンルには自分自身や自分の環境について歌う伝統があるのだと知ったのもその頃だった。
そんなFUNIさんと再会したのは昨年2019年、横浜で開催されたイベントで、私が基調講演、FUNIさんがパフォーマンスと司会を担当していたことがきっかけだった。その時に披露してくれた曲「g.h.o.s.t~郭正勲→FUNI→高吉正勲→?」で、彼は自分のことをこう、歌っていた。
「俺は川崎南部のスラムドッグ 四人兄妹の次男だ
兄貴と別扱いされたことになんの不満なんてなかった
(中略)
俺の福耳と右拳の中の2つの星ハンメ(祖母)から
お前はいつか大金持ちになるって言葉がお守りだった」
私はこの曲の歌い出しの、この歌詞に引きつけられた。
「申し訳ないが俺は別に独裁者になんてなりたくないんだ
真っ平御免さ 俺は人を支配したり征服したくはないんだ
もしできるなら全ての人の助けになりたい
俺たちはみんな互いに助け合いたいと思ってるはずだ
人間てのはそういうものだ」
ステージからは、現実を美化するでもなく、ただ諦めるに任せるでもなく、そこから突き抜けるエネルギーがあふれていた。“カテゴライズに踊らされるな、とらわれるな”と、大人になっても自分が何者なのか定まらない私の背中を、押してもらったように思う。
今回選んだ映画『ガリーボーイ』の主舞台はインド、ムンバイ最大のスラムといわれるダラヴィだ。私も一度だけ、足を踏み入れたことがある。一度には見渡すことのできないほどの広大さと、密集する人々のエネルギーに圧倒されたのを覚えている。人がすれ違うのも困難な狭い路地が網の目のように広がり、その小さな家々の狭間からは、土埃色の空と、高層ビルが見える。
インドを取材していて感じたのは、身分や宗教、貧富の差など、様々な分断、越えがたい壁の中で人々が暮らしていることだった。主人公はダラヴィに生まれ育った青年ムラド(ランヴィール・シン)。家族は貧しく、大学卒業後の展望も描けずにいた。父が運転手として働く富豪の家と、自分の空間を持つこともままならないムラドの自宅は別世界のようでありながら、確かに同じ街に存在している。そんな彼の心の拠り所が、ヒップホップを聴くことだった。自ら歌うきっかけをくれたのは、ラッパーのMCシェール。自分で書いた詞を自ら披露することを躊躇するムラドを、「お前の心の声か。歌ってみろ」と彼が背中を押してくれたのだ。彼はガリーボーイ(路地裏の少年)の名でラッパー活動をするようになり、そのリズムはやがて、熱狂となっていく。爽快な歌詞とリズムは、映画本編でぜひ触れてほしい。
映画では、ムラドのガールフレンド、サフィナ(アーリヤー・バット)の生き方からも目が離せなかった。イスラム教徒であり、女性は教育より結婚だと信じてやまない家族から、型にはまった「女性らしさ」を押しつけられる。1人で外出することさえままならない。けれども秘密裏にムラドと交際を続け、彼に近寄る他の女性たちにも容赦がない。限られた自由の中でしたたかに生きるたくましさには圧倒される。
こうして痛快なビートだけでなく、それぞれの生きた方そのものが、「型にこだわるな」と私を突き上げてくれた。ただ、ムラドを特別なヒーローにするだけで終わってはいけないようにも思えた。だからこそ、生まれによって将来の選択肢が奪われてはならないと、SDGsの「目標1:貧困をなくそう」を選んだ。もうひとつ、サフィナの生き方から、「目標5:ジェンダー平等を実現しよう」も考えたい。
この映画を観た後、私は改めて、日本の「今」を考えた。FUNIさんが生まれた川崎の桜本にある多文化共生施設「ふれあい館」には、1月、在日コリアンの殺害を宣言する文面がつづられたはがきが年賀状として届いた。それはあまりに、おぞましい文面だった。でも私は、本気で歌い上げる人々の情熱を知っている。ヘイトはカルチャーには敵わないことを知っている。川崎に響き続けるビートは、脅しでは鳴りやまない。むしろますます強く、人々の心を突き動かし続けるだろう。
神奈川県出身。1987年生まれ。フォトジャーナリスト。東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)ほか。
この記事の関連情報はこちら(WEBサイト ザテレビジョン)