幼少期は極度の平和主義者だったという武田は、剣道をやっていたが、「戦いたくなかった」と言い、「ダメでしたね、棒で人を殴るって」と振り返る。また運動会も残酷だと感じていたと言い「誰かが1番になる喜びよりもビリになる悲しみに気づけないのかな」と名言を残す。
その後、10歳のときにチェッカーズと出会い、サックスに目覚めたことから、音楽でプロになることを目指すように。しかし母はそれに反対。
現実を知らしめるためにジュノン・スーパーボーイ・コンテストを受けさせるが、母の意志に反して、武田はグランプリを獲得して、芸能界デビューを果たす。
デビュー後、まもなくして“フェミ男”ブームによって、ブレイクするが、当時は、給料制で人気が出てもお金は入らず、仕事が増えることが不満へと変わる。仕事を減らすために、横柄な態度を取ると、逆にそれが世間からカッコイイと取られて、また仕事が増えてしまう悪循環まであったという。
櫻井は嵐のメンバーにもそういう芸能界への反抗期はなかったかと質問。
松本潤は「全然ありますよ」と言い、ドラマなどの現場で「セリフしゃべらないとか」と例をあげる。台本に書いてあるセリフに「このセリフはちょっと言えないっすね」などと言っていたという。ドラマ「ごくせん」(日本テレビ系)に出演していた頃を「一番尖ってたかな」と振り返る。
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