――斎藤さんにとって平成は、どのような時代だったのでしょうか?
生まれこそ昭和ですけど、自分が一番ビビットに影響を受けた時代だったと思います。自分が10代だった平成前半はインプット、後半になってようやくアウトプットができてきた気がします。
――自分の個としてのキャラクターが形成された時代だったということですね?
そうですね。もちろん、そのときに日本で何が起きていたかの史実も自分の成分になっていますが、それ以上にカルチャーの影響が大きかったですね。
例えば、日本のミニシアター記録を塗り替えた「トレインスポッティング」(1996年)が公開されたのは僕が高校生のときですし、クエンティン・タランティーノ監督の作品にハマったのも平成の最初のころ。それが中学生ぐらいだったかな。
そこから日本のカルチャーがどう影響を受けて、どういう文化を形成していくのかを、今の今まで見続けてきた気がします。なので、僕の中での平成を語るとすると、カルチャーの側面から見たものが一番大きいですね。
――「糸」は、主人公である漣(菅田将暉)と葵が出会いと別れを繰り返す運命的な愛がテーマになっています。斎藤さんにとって、これまでの人生で“運命”を感じた出来事はありましたか?
少し前にロバート・ロドリゲス監督のビハインド映像を見たんですけど、そのときにハッとしたことがあって。彼の自宅スタジオには立派なキッチンがあるんですけど、そこに皮のカバーがついたメニュー表が置いてあったんです。そのメニュー表に書かれているのは、スタジオにゲストが来たときに監督自身が料理をふるまえるものばかりなんですよね。
――ゲストのために監督自身が料理をふるまうというのは、あまり聞いたことがないです。
それを見たときに自分もやってみようかなと思って。今は僕の中にある5つか、6つぐらいのメニューの料理作りとその鍛錬にいそしんでいます(笑)。
この記事の関連情報はこちら(WEBサイト ザテレビジョン)