‘10年3月に行われた「身毒丸オーディション」でグランプリを獲得した矢野聖人に、自身初となる舞台「身毒丸」に懸ける意気込みを聞いた。
蜷川幸雄氏演出による舞台「身毒丸」が新しいキャストを迎えて生まれ変わる。'95年に武田真治が主演を務め、継母・撫子役の白石加代子との愛憎を描きセンセーショナルな内容が話題を呼び、多くの人に感動と衝撃を与えた。その後、‘97年には、一般公募のオーディションから藤原竜也が選ばれ、藤原、白石の組み合わせで合計172回の公演を重ねている。
新しい身毒丸を演じるが「芝居経験がない分、(武田、藤原の)映像を見て変にマネしちゃったりするのは良くないと思い見てないです。セットだったり、シーンの全てが新鮮に感じられますし」と語るが、その分、「目をつぶるとその日の稽古で言われたことを思い出して、ずっとせりふがループしている状態です。蜷川さん的にはいい感じで仕上がってきているっておっしゃっているので、その言葉を信じてやるだけですね」とプレッシャーもある様子。蜷川氏の印象を「当時18歳で、演劇に興味があったわけじゃなかったので、オーディションで初めてお会いするまで蜷川さんを知らなかったんですよ(笑)」と怖いもの知らずな発言も。「(蜷川さんは)僕から見て、全然怖くはないです。自分でも知らない部分を引き出して、役者としての可能性をすごく広げてくださる。自由にやらせてくれる部分もあったり、いろんな事を教えてくださいます。(蜷川氏は灰皿を投げると有名だが)特に今のところ何も飛んできていませんね(笑)」とおどけてみせる。
最初はあまり乗り気ではなかったオーディションだが「受かるとは思っていませんでした。むしろ、早く落ちたいって思っていましたね。嫌だったんですよオーディションの空気とか。でも、審査に残るたびに素直に喜んだ自分もいたし、受かった時は思わず泣いちゃいました」と考え方も変化していった。合格できた自分の武器については「自分のペースを大事にしていました。オーディションの空気に流されるのがとても嫌だったので、わざと横になってみたり、『トランプしようよ』って誘ったりしました。今考えるとばかですけど(笑)」と振り返る。だがその裏には「自分の弱い部分を隠そうとして、わざと動じない、強気な姿勢を作って自分のペースを保っていたんです。芝居の経験もないし、せりふもギリギリまで練習していたから、最後は下手のまま行こうって」と当時の心境を明かした。
劇中、ヌードになる場面があるが「大勢の前で見せるものじゃないですし、恥ずかしいです。抵抗はないと言ったらうそですが、大事なシーンなので頑張ります。この間、(藤原)竜也さんにお会いしたときも『なんだかんだ言っても出しちゃうんだから、さっさと出しちゃえばいいんだよ』って言われました(笑)」と意外な事実が判明した。また、身毒丸の継母・撫子役で共演する大竹しのぶの印象を「芝居になると本当に人が変わる。そのメリハリが僕を緊張させてくれるし、衝撃を受けたりします。芝居に対する姿勢とか勉強になることが多いです。19歳の僕が言うのも生意気ですが、小柄でかわいらしい方。探り探り様子を見つつもっとコミュニケーションを取って行きたいですね。でも、忙しい方なので、僕がしゃべりかけるとウザいかな」とまだ遠慮をしている様子。先輩・藤原からもアドバイスをもらっているようで「『いい環境だから、お前は成功させなきゃいけないんだぞ』ってプレッシャーを掛けられています。あと、『どんなに遊んだって、芯は真面目であれ。そうすれば必ず報われるから』って言われました」と現在実践中だ。
最後に「身毒丸」を「オーディションで蜷川さんが選んで下さったのは、僕に身毒丸を感じる部分が少なからずあったっということだと思います。初舞台は、人生で1度きりなので、僕を見て頂いた方に貴重な時間だったと思ってもらえるように、今は稽古を重ねて、もっといろいろ試してみようと思います」と意気込みを語った。
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