芸人、絵本作家ほか、ジャンルの垣根を飛び越えて活躍する西野亮廣。2016年に発表し45万部を超えるベストセラーとなっている絵本『えんとつ町のプペル』だが、実は映画化を前提として設計された一大プロジェクトだった。構想から約8年、今年12月の映画公開を目前に、制作の舞台裏と作品に込めた“想い”を語りつくします。第1回目は、当時、テレビタレントとして人気の絶頂をきわめていた西野亮廣が芸能活動から軸足を抜き、絵本作家へと向かった理由を明かします。
映画公開が決定した『えんとつ町のプペル』という物語は、こんな独白から始まります。
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えんとつ町は煙突だらけ。
そこかしこから煙が上がり、頭の上はモックモク。
黒い煙でモックモク。
えんとつ町に住む人は、青い空を知りません。
輝く星を知りません。
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見上げたところで黒い煙しかない町の人々は、見上げることをしません。皆、下を向いて暮らしています。
そんな中、煙突掃除屋の少年と、ゴミから生まれた「ゴミ人間」が、頭の上を覆う黒い煙の向こう側にあるかもしれない世界に想いを馳せます。少年の父が、「星」の存在をほのめかしたのがキッカケです。町の人々は、そんな二人を執拗に攻撃します。町の人々は、見上げる者を決して許しません。「星なんてあるハズがない。見上げるな」と。
「えんとつ町」は、夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる現代社会。ファンタジーなどではありません。それら全ては僕らの身の回りで実際に起きていることで、きっと今この瞬間も、どこかで殺されている夢があります。ご多分に漏れず、僕にも、日本中から何年間も攻撃され続けた時代がありました。『えんとつ町のプペル』を書くキッカケとなった時代です。
忘れもしません。フジテレビの『27時間テレビ』での出来事です。「ひな壇番組」の出演を断ったキングコング西野を、その現場にいないキングコング西野を、番組出演者をはじめ、番組スタッフ全員が、電波に乗せて「なじった」ことがありました。それは、「笑い」と呼ぶには、あまりにも陰湿な時間で、僕は、テレビの前でそれ観ていました。公共の電波でそんなことをやるもんですから、多くの国民が扇動され、いつからか僕は「皆が殴ってもいい人間」になりました。自分の意志に従って生きたら、このザマです。
やることなすこと否定され、ついには僕の仲間まで否定され始める始末。「西野は評判が悪いから、付き合わない方がいい」「西野と一緒に働いてるの? 見損なったわ」そんな言葉で責められ、言い返せずに、作り笑顔でやり過ごしたことを僕に告白し、悔し涙を流す仲間を、何度も見てきました。
日本中から殴られている僕から離れていった人もいます。仕方ない。まさか恨むものか。彼らの人生です。彼らにも守らなければいけないものがあります。いつか帰ってきた時に、全て笑い話にすればいい。今思うと、自分にそう言い聞かせていたような気もします。
KADOKAWAの担当者さんから、「『えんとつ町のプペル』の作り方と、日本中を巻き込んだ広告戦略について書いて欲しい」とお願いされた時に、最初によぎったのが、今、お話ししたことです。『えんとつ町のプペル』誕生の背景には、とても「方法論」だけでは語り尽くすことができない様々な出来事がありました。
ここで共有しておきたいことがあります。
この文章を手にとってくださった方の中には、現在進行形で、あの日の僕と同じような目に遭っている人がいるハズで、僕はその人に用があります。したがって、あの日の僕を襲った様々な出来事や、その時の僕の感情に触れずに語る「方法論」には何の意味もありません。広告戦略を語る以上、途中で具体的な方法論が出てきますが、くれぐれも、これは、強い人の為の文章ではありません。これは、今にも灯が消されてしまいそうな人に寄り添い、生き延び方を伝えることを目的とした文章です。そのことを共有した上で、本題に入りたいと思います。前置きが長くなってしまってごめんなさい。
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