<西野亮廣>ゴミ人間〜『えんとつ町のプペル』誕生の背景と込めた想い〜「育児放棄」【短期集中連載/第2回】

2020/08/31 17:30 配信

映画

映画『えんとつ町のプペル』(12月25日[金]公開予定)誕生の背景とそこに込めた想いを語る連載第2回


ようやく目が覚めました。90年代のトレンディドラマであれば、きっと、傘もささずにドシャ降りの雨に打たれています。忘れているつもりはなかったのですが、忘れていました。僕は、作品の親でした。

ボロを着てもいいし、ひもじい思いをしてもいいし、泥水をすすってもいいし、誤解されてもいいし、日本中から殴られてもいい。ただ一つ。我が子だけは絶対に守る。子供が一人で生きていけるようになるまで育て上げる。それが親の務めです。

この瞬間から「売る」ということと向き合うようになりました。「どうすれば、自分が一生懸命作ったものが売れるのだろう?」。『売る側』から考えても答えが見当たらなかったので、『買う側』から考えてみることにしました。

普段、僕が何を買って、何を買っていないのか? ノートを開き、「買ったことがないもの」と「買ったことがあるもの」を、それぞれ書き出してみたところ、面白い答えが見えてきました。

僕は、月に2冊ほどしか「本」を買っていません。音楽は好きですが、もう何年も「CD」を買っていません。僕は人生で一度も「壺」を買ったことがありません。売り場すら知りません。

そういえば僕は「作品」と呼ばれるものを、あまり買っていませんでした。一方で、「お茶」は買っていますし、「牛乳」は買っていますし、高くても、「電子レンジ」も「冷蔵庫」も買っています。

「買ったことがあるもの」と「買ったことがないもの」の線引きは単純明快、「生きていく上で必要であるか否か」でした。「お茶」も「牛乳」も「電子レンジ」も生きていく上では必要ですが、『Dr.インクの星空キネマ』は、生きていく上で必要ではありません。

なるほど。「作品というものは生活必需品じゃないから売れないんだ」。そう結論したかったのですが、残念ながら売れている作品があります。僕自身、過去に買ってしまった作品があります。

シンガポールに行ったときには、「マーライオン」のキーホルダーを買いました。広島の宮島に行ったときには、「宮島」と漢字で書かれたペナント(三角形の旗)を買いました。

生きていて、「そろそろペナント買おうかなぁ」と思ったことあります? ありませんよね。でも、僕は買っちゃったんです。芸人仲間と京都に行ったときに、「御用」と書かれた提灯を買いました。ちなみに僕は、誰かを取り締まる仕事に就いていません。

ようやく輪郭が見えてきました。僕たちは「作品」にはお金を出さないけれど、「おみやげ」にはお金を出しています。そういえば、どれだけ時代が進んでも、世の中から「おみやげ屋」はなくなっていません。「おみやげ」は思い出を保管する装置として必要ですし、「おみやげ」は親族や友達や会社の同僚に「気を配っている証拠」として必要だからです。

「おみやげ」というものは、「作品」の姿形をしていますが、実際のところは「生きていく上で必要なもの」だということがわかりました。「お茶」も「牛乳」と同じカテゴリーです。

となると、絵本を「おみやげ」にしてしまえばいい。作品を「おみやげ」にする為には、その前の「体験」が必要です。マーライオンのキーホルダーでいうところの「シンガポール」のような。

僕は自宅にあった絵本の原画の貸し出しを【無料】にして、全国どこでも誰でも『にしのあきひろ絵本原画展』を開催できるようにしました。もちろん、原画の貸し出しは【無料】。その代わり、個展会場の出口で絵本を置かしてもらったところ、絵本が飛ぶように売れました。このとき、絵本が「作品」として売れたのではなく、「個展会場のおみやげ」として売れたのです。

これは作家として敗北でしょうか? 僕は、そうは思いません。作品は、お客さんの手に届いて初めて完成します。この頃から、少しずつ「子育て」の方法がわかってきました。(第3回は9月7日[月]更新予定)

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