「池袋シネマチ祭」の特別企画として6月7日、池袋HUMAXシネマズで細田守監督作品「おおかみこどもの雨と雪」('12年)、杉井ギサブロー監督作品「銀河鉄道の夜」('85年)の上映が行われ、アニメ・特撮研究家の氷川竜介氏を聞き手に迎えて両監督のスペシャルトークが実施された。その模様を伝える最終回。
■作り手として映画に託したものと、受け手側に託したもの(2)
――それでは最後にお2人に質問なのですが、音楽に関する質問で「銀河鉄道の夜」では細野晴臣さん、「おおかみこども―」では高木正勝さんを選ばれた理由を教えていただけますか。
杉井:これは音響ディレクターの田代(敦巳)と僕で、細野晴臣さんしかいないと一致したんですよ。細野さんとの打ち合わせの時に、「監督、これはどういう傾向の音楽を作ればいいでしょうか?」と聞かれて、僕はひと言「揺れてください」と言っただけなんですね。生命の根源というものは、物理的に揺れるということなんです。白と黒、生と死の間を揺れること。それを伝えただけであの曲が上がってきたので、本当に素晴らしいと思いました。
細田:僕は今でも「銀河鉄道の夜」のサントラを愛聴していますよ。高木正勝さんですが、「おおかみこども―」以前は、映画音楽の仕事というのはやっていないと思うんですよね。一部分だけというのはあっても、全体を手掛けるというのはなかった。面白い物を作ってくれるだろうとは思っていましたが、初めてだからどうなるか分からない。でも、高木さんに懸けようと思いました。最初に上がってきたデモが雪山を駆け下りるシーンの「きときと-四本足の踊り」という楽曲だったんです。映画音楽を頼んで、あのシーンを最初に上げてくる時点で、もう高木さんという人がこの映画になくてはならない人だと思いました。高木さんは初めてだから「これで良いと監督は言うけれども、本当なのか分からない」って相当苦しまれたそうなんですけれど、僕は全然問題ないと。次々と上がってくるデモの、1曲1曲がクリエイティビティーに満ちていて、こんな音楽で映画を作れるなら本当に幸せだと最初の段階で感じていました。
――それでは最後にひと言ずついただいて、締めくくらせていただければと思います。
細田:自分の母親との折り合い…というと少し大げさかもしれませんが、「ありがとう」と言う機会もないままお別れになってしまった。だから、映画の中で主人公に気持ちを託した部分があるのかもしれません。これから世の中大変にもなっていくだろうし、どんなことがあるかは分からないけれど、でも最後は、幸せだったと思えるようになれたらいいなということを念じて作りました。ぜひそんなふうに見てもらえたらいいなと思っています。
杉井:賢治童話というのはとにかく読み手に解釈を委ねるという作り方をしていて、決してキャラクターの心情を書いたりしていないんですね。あの作品は賢治が10年かけて推敲(すいこう)しているんですけれど、年齢も性別も国籍も超えて、解釈を読んだ人に委ねている。僕も見た人に感じ取ってもらおうと演出しています。喜怒哀楽をキャラクターが出してしまうより無表情の方が、賢治の意図に合っているだろうと。ご覧になった皆さんはゆるい映画だと感じたかと思うんですけれど…。
細田:いやいや、ゆるくないですよ! 一瞬も気をゆるめられない映画ですよ。映画というのは解説するのが映画なんじゃなくて、表現することが映画だと思うので。映画館にいるみんなが映画を見る以外のことをしない状態で、ひたすら映画と向き合うという、映画はそういうものであるべきだと思っています。「銀河鉄道の夜」はその緊張感がすごいですけれどね。
杉井:ありがとうございます(笑)。僕の本意としては、杉井が作った映画だと思って見てもらうんじゃなくて、みんなの中で映画を作ってもらいたい。映画って見て感じたうえで自分の中で作り上げるものじゃないですか。それこそが映画がかつて持っていた文化の特色だと思うので、できるだけ僕は映画を見てくれた人の中で、何かが残っていくような作品を作りたいなと思っています。
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