NHK Eテレで放送中の「ミュージック・ポートレイト」の7月10日(木)、17日(木)の放送に、高田純次と大竹まことがゲストで登場する。同番組は毎回二人のゲストが「人生の大切な10曲」を持ち寄り、互いの人生を語り合う音楽対談番組。今回、放送前に高田と大竹出演回の第1夜と第2夜の対談の一部を紹介する。
7月10日(木)の第1夜の放送の中で大竹は、芸能界で活躍するまでの驚きのエピソードを明かす。18歳で家を出て芝居への道の入り口に立っていた大竹が住んでいた東京・祐天寺の「都荘」に、徐々に仲間が住み込むようになる。アルバイトをしていた「仮面ライダーショー」北日本巡業で知り合ったバンドマンが女性と共に駆け落ちしてくるなど、四畳半二間に最大7人で暮らし、2つの即席ラーメンを7人で食べたこともあったという。マメな大竹はアルバイトの経験から料理が得意だったため女性に食事を作り、お風呂を沸かしてお小遣いをもらう。同時に6人の女性と付き合い、一人千円ずつもらって生活するというヒモ男でもあった。そんな出口の見えないヒモ男時代の思い出の曲は、石川セリの「八月の濡れた砂」('71年)であったと明かす。
一方、7月14日(木)の第2夜の放送の中で高田が、現在の“テキトー男”が生まれるまでを、思い出の歌である映画「ブルー・ベルベット」の中の印象的な挿入歌、ロイ・オービソンの「イン・ドリームス」('63年)と共に語る。「劇団東京乾電池」に所属し、団員と共に出演した昼の帯番組「笑ってる場合ですよ」('80~'82年、フジ系)内のコーナーである「日刊乾電池ニュース」の視聴率が徐々に上がり、生活が安定した後、後番組の「笑っていいとも」('82年~'14年)にピンで出演が決まる。テレビではレオタード姿で独特のキャラを演じながら「これでいいのか」と迷う中、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」('85~'96年、日本テレビ系)のレポーターに抜てき。ギャラはほとんどなく、毎週全国ロケという過酷な状況で悩みながらも即興劇で身に着けたアドリブでキャラ設定をして臨んだという。そんな高田が、家庭思いの真面目な素顔と生まれつつあった“テキトー男”というキャラクターの二面性について明かしていく。
この他にも数々の名曲とともに青春時代や下積み時代などさまざまな濃いトークを繰り広げた二人の放送に期待が高まる!
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