【辻口博啓が「まれ」の原点を明かす!より続く】
――辻口さん自身、生まれ故郷の能登で育ってきた利点のようなものはあると思いますか?
実は、それは僕自身の実感を脚本家の篠崎(絵里子)さんにもお伝えしています。都会に来て、僕が最初に思ったのは水なんです。「これは飲めないな」って思いました。能登の実家では、ミネラルたっぷりの井戸水を飲んで育ったから驚いてしまいました。能登では目の前が海で、漁をしてきた獲れたての魚をさばいて食べていたから、本当に鮮度のいい素材というものを子供の頃から知っていました。あの大自然に育ったからこそ、味覚が非常に研ぎ澄まされたわけで、やはり自分にとって能登に生まれたというのは大きかったなと思います。
――今回、「まれ」をご覧になっての感想を教えてください。
オープニングの導入歌の中で、僕が作ったショートケーキが出てきて、土屋さんがクリームをペロッとなめたり、能登の海で踊るシーンを見たとき、本当によくて、鳥肌が立ってしまいました。子供たちが歌う歌も、プロが歌うというよりはなんか手作り感があっていいですよね。そういうところがまさに能登にはある。うちの故郷はみんなで折紙で輪っかを繋げてぶら下げたりとか、よくやるんですよ(笑)。
――「まれ」はそういう能登の雰囲気を伝えていますね。
「まれ」はそういう人との関わりの大切さとかを教えてくれる番組だと思っています。僕のお店「モンサンクレール」も開店してから17年が経ちますけど同じですね。お母さんに手を引っ張られて来た3歳くらいの子供がもう20歳になるんです。母親と行った情景を思い出して、自分を思ってくれた母親のあの気持ちを感じられる、お菓子にはタイムマシンのような不思議な力があるんです。以前、オープン当初から「タルトトロワ」というお菓子を毎日10個くらい買って行く年配の方がいらっしゃったんです。でもその方は、急に来なくなってしまって、それから2、3年してから、若い女性の方がまた「タルトトロワ」を10個くらい買って行ったんです。聞くと、その方の娘さんで、お母さんが亡くなられて3年経って、「今日は命日だから、タルトトロワを母に捧げたい」ということでした。この商売をしていると、人のそういう思いに出会えます。人と人を強く結びつける力がスイーツにはあって、僕はNHKの方にそういう気持ちをお伝えしたつもりです。
――作中では、“桜餅”が唯一和菓子として登場しますが、ご実家が和菓子屋だということで、やはり和菓子が原点だったりするのでしょうか。
そうですね。祖父の代から続いた和菓子屋は「紅屋(べにや)」という名前でした。祖父が戦争に行った時の話ですが、皆で白いタスキをかけて敵に突撃した時は、夜は白が光に反射して相手からよく見えてしまって、ものすごく命を落とした人が多かったらしいんです。そこで生き残ったのが祖父ともう1人のたった2人でした。次の出撃の時、赤いタスキにかえて行ったら、多くの人が助かりました。そこで祖父がお店を出す際、命を助けられた赤から、「紅屋」という名前にしたらしいんです。そういう特別な意味を持つ祖父の作り上げた和菓子屋、今はなき「紅屋」ですけれど、それを再現するために今僕自身もこうやって頑張っているわけです。
――最後に「まれ」を見ている視聴者の方々にメッセージをお願いします。
スイーツを通して、自分自身の物語を思いおこしてほしいと思います。相手からもらうスイーツにはいろんな思いが込められています。「まれ」を通して、皆さんにスイーツの「作り手」の思いや「贈り手」の思いっていうものがしっかりと届けられればいいです。そこに家族の大切さを感じていただいて、そういう大切な人に対する思いが平和に繋がっていくんだっていうことを、感じとってもらえればいいですね。
この記事の関連情報はこちら(WEBサイト ザテレビジョン)