池上彰“教科書に載っていない20世紀”第2弾放送決定

2015/11/08 17:15 配信

芸能一般

囲み取材会に出席した宮崎美子と池上彰(写真左から)(C)テレビ東京

テレビ東京系ほかでは、11月22日(日)に「池上彰の教科書に載っていない20世紀~戦後ニッポンを救った知られざる人々~」(夜7:54-9:48)を放送する。

本番組は、ことし7月に放送した「池上彰の教科書に載っていない20世紀~あの『言葉』が世界を変えた!?~」に続く、“教科書に載っていない20世紀”シリーズの第2弾。

終戦を迎えた1945年8月15日の翌日から“ニッポン”はどう変わったのか。日本を救い、その礎を築いた知られざる人々など、歴史の裏に隠され、教科書に載ることがなかった真実を、池上彰が徹底解説する。

「お国のため」から「家族のため、自分のため」へと激変した日本人の意識の変化を検証していく。

また、日本が降伏した3日後の1945年8月18日未明、ソ連軍が千島列島東端の占守島に奇襲攻撃を仕掛け、武装解除中だった日本軍は応戦。北海道北半分をソ連に帰属させたかったスターリンの野望を跳ね返したともいえる、知られざる闘いを探るため、宮崎美子が現地を取材した。

スタジオ収録前、池上彰宮崎美子が囲み取材会に出席し質問に応じた。

――今回の番組のポイントや見どころは?

池上:戦後70年ということで、ことしはいろいろな企画がありましたが、さらに、もう少し他の視点でも見てみようじゃないかということで、そのひとつが、女性たちのファッションや仕事などがどのように変わってきたのかを見ていこうということ。

もう一つは、実は北海道を救ったかもしれないという占守島での闘い。これは本当に知られざるお話ですが、これは宮崎さんの現地ロケですね。何かいろいろな思いがあったようですが。

宮崎:8月15日に玉音放送があったら、その場でもう全部戦闘は終わったんじゃないか、そこから無事に帰れたんじゃないかくらいに思っていたところもあるんですけども、そこから始まった闘いがあって、日本は降伏しているわけですけど、その後、その人たちはどうなったのか。

今回、現地の方の話を聞いて思ったんですけども、千島列島はロシアと日本で条約が結ばれて平和裏に日本のものになったところなんですが、そうじゃないように教えられているので、そういう意味では、スターリンの思いが今生きているなという気がすごくしたんです。

日露戦争の時に、奪い取られた千島列島を血であがなって、取り返したその人たちは英雄だ。だったら北方領土も全部自分たちのものであって当たり前だろ、と怒られちゃいました。行かないと分からないことがあるんだなと実感しました。

池上:そんなふうに教えられていたとは思わなかった。スターリンは、第二次世界大戦のソ連の闘いを、大祖国戦争と呼んでいたんですよ。ドイツから祖国を守る闘いだったはずが、やがて祖国の栄光という形で、日露戦争で取られたところも奪い返すというところも含めての思いがあった。

スターリンは死んだけれども、いまだにいろんなところでそれが残っているということですよね。実は、占守島で守備隊が闘った結果、北海道北部がソ連に占領されないで済んだんじゃないかというね、これは驚くべき話ですよね。

宮崎:もしかしたら、日本も分断国家の一つだったのかもしれないですもんね。いや、ちょっとゾッとしますね。でもなかなか知られていないことだし、私も知らなかったです。この占守島の闘いというもの。大変でしたけれど行けてよかったと、どれだけお伝えできるかなと思います。

あと、もう一ついい? すごくいい所だったんです! 占守島って。花の好きな人にとっては、あそこにしかない花があって、荒らされていなので憧れの地でもあるみたいです。それほどいい所なんですよ。

――今後、この番組の3弾・4弾があるとしたら、宮崎さんは、どんな歴史の現場を取材してみたいですか?

宮崎:そうですね、占守島とかサハリンとか、もう一度行ってみたいなと思いました。まだ何だか途中な気がして、終わってないなという思いがあるので。もうちょっと自分でも勉強して行ってみたいです。もっと自由に行けたらいいんですけどもね。

――ジャーナリストの池上さんから見て、宮崎さんの取材ぶりはいかがですか?

池上:大人の視点で、さまざまな現実、あるいは歴史を見る視点を非常にお持ちの方だなと。昭和を生きてきた人たちが同感できるような感性をお持ちでリポートされていると思いますね。

――凝ったセットも見どころだと思いますが、懐かしい道具がたくさんそろう中、思い入れのあるものなどがあれば教えてください。

宮崎:私はミシンが懐かしい。これは母親がよく使っていましたからね。今も実は実家にありますね。昔のお母さんというのは、ミシンで子供たちの服や自分の服を縫っていましたよね。私などにとっては懐かしい、いい思い出の物ですけれど、もう少し年上の方にとってはどうなんだろうと思いますね。

池上:懐かしさとつらさというか、女性の重労働ですよね。小学生の時に風呂を沸かすのは私の仕事でした。まき割りをして、新聞で木や小枝に火をつけて…。そうやって風呂を毎日沸かしてましたし、日曜日はまき割りが私の仕事でしたから。ガス風呂になった時に「なんて便利なものが!」と思いました。

――戦争関連の番組が落ち着いてきた時期ですが、今回の意気込みを教えてください。

池上:これまでは戦争体験者、あるいは原爆、被ばくの体験者の話というものがあったわけですけれど、これからは、みんなが知らないことを現代の視点で発掘していくこと。

占守島の場合は、そこで闘った方のインタビューも出てきますけれど、そういう人たちがいなくなっていく中でも、日本がいろんなことをやったんだということ。

例えばインパール作戦というとてつもない事件もありましたし、ノモンハン事件というとんでもないものもあった現時点で、私たちの視点でそれを発掘していく、それを人々に伝えていくということが、これからは必要になってくるのかなと思いますね。