若手劇作家・今城文恵率いる演劇ユニット浮世企画の最新作「ザ・ドリンカー」が2月17日(水)から下北沢・駅前劇場にて上演される。幕末と明治を生きた実在の絵師・河鍋暁斎の半生を軸に、行き方を模索する表現者たちを描いていく。ドラマなどでも活躍中の演技派役者陣が今城の作品を盛り上げる。浮世企画にとっては、初の時代劇。今城に本作について話を聞いた。
「『ザ・ドリンカー』は時代劇ですが、どなたにでも気楽に楽しんでいただけるよう、また登場人物を身近に感じてもらえるように作っています。なので話し方は今に即してなるべく伝わりやすく、ただ当時にない言葉は使わないようにと一語一語言葉を選びました。それで普段自分がどれだけ外来語を使っているか痛感しました」と初の時代劇は脚本作りから苦労した様子。
しかも、よくある幕末伝ではなく、ここ最近でようやく名前が知られてきた、無類の酒好きであり、エキセントリックな逸話を多く残す絵師・河鍋暁斎に挑戦する。そもそもなぜ河鍋暁斎を取り上げることにしたのだろうか。
「まずは単純に絵を面白いと思ったんです。それでお酒がとても好きだったということを知って、私も自他共に認める酒好きですからさらに興味を持って絵を見ていったら、出身地、妖怪や動物が好きで擬人化する(しかもバカバカしく)ところが自分と同じだなと分かりました。
それから暁斎の作品には二重性があり、例えば江戸と明治など相反するものの間で揺れていたのではないかという評論を読んで、非常に親近感を覚えました。私も普段生活する中でAとBどちらかに極端に偏った人に疑問を感じることが多く、かつどちらかに決められない自分がいるので、もしかして暁斎もそうだったのかな?と。それでまさに今、扱いたい人だなと思いました。
暁斎に感じたシンパシーで一番大きいのは作品を作る上での姿勢、モチベーションというか、何を面白いと思って表現をしているのかということです。表現を続ける上での業ともいえるかもしれません。
これはあくまでも私の推測に過ぎませんが、暁斎は生きているもの、特に人間の弱さや滑稽さが好きで、そこを起点に創作をしているんじゃないかと思ったんです。そう思うと自分が暁斎の作品に引かれた理由も、暁斎の作品の見方も、全てが腑に落ちました。
私自身、人間を表現したくて“登場人物全員駄目人間”を掲げて作品を作っています。ただ人間を見詰めるほど、人間が嫌いになることもあります。人の変化や考え方を受け入れきれなくて、怒ったり落ち込んだり、『この世は無常なり』と考えてどうにか自分を納得させたり。そうやって自分の中に生まれた隙間を埋めるのがお酒。
ただ結局何があってもやっぱり人間を面白がることで作品を作り続けていく。同時に面白がれば作っていける。暁斎、特に20~40代の暁斎もそうだったのかなぁと妄想した結果がこの『ザ・ドリンカー』です。プラス、暁斎はよく言われるような反骨のスーパーマンなんかじゃないだろうという意地悪な気持ちで脚本を書きました(笑)」。
そんな思い入れの強い暁斎役には、長塚圭史率いる阿佐ヶ谷スパイダースの伊達暁を抜てき、同じくさまざまなドラマで活躍中の劇団猫のホテルの村上航も暁斎の兄貴分の戯作者・仮名垣魯文役で登場する。
「伊達さんの持っている“前に出過ぎない華”というか、決して自己主張が激しくはないのに一瞬ギョッとするような光を放つ、というような持ち味は、暁斎役にいいぞと思いました。何かやらかしそうな感じも暁斎役として面白くなるだろうと。
そして暁斎をどれだけ多面的に描いても、伊達さんなら表現しきってくださるだろうと思いました。村上さんはまず何度もご一緒してきた上で、圧倒的な信頼があります。私のイメージを稽古場で広げてくださいますし、どんな役でもキャラクターの駄目な部分を起点にチャーミングに仕上げてくださいます。
作中の魯文は一見ミーハーではしゃいでいるんだけども、実は苦悩を抱えていて、というねじくれたキャラクターで、村上さんはそこをとても人間臭く仕上げてくださるだろうなと思っています」とキャスティングにも自信を見せる。
「今作は時代劇ですから役者がみんな着物を着ている、そういう非日常の世界を覗き見に行くような感覚で劇場に足を運んでいただければと思います。時代劇という要素以外にも生のお芝居だからこそ、そして駅前劇場という濃密な空間だからこその面白さをご用意しています。
お話には『暁斎が子供の時に川で拾った生首と同じ顔をした男』というキャラクターが登場しますので、その男がどう暁斎たちに関わってくるのか、そして実力派かつ個性的な役者たちの競演にご期待ください」。
「天下無敵の反骨画家」の生き方、描かれ方に注目したい。
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