主演映画が公開中の太賀「全ての力を込めて投げました」

2016/06/06 07:02 配信

映画

主人公・漣を演じる太賀は、映画やドラマ、舞台などで活躍中!

史上初となる東京国際映画祭2年連続入選を、最年少で果たした中川龍太郎監督の最新作「走れ、絶望に追いつかれない速さで」が、渋谷・ユーロスペースで上映中。中川監督が親友を亡くした実体験を基に、悲しみと再生の物語が展開される。

日本テレビ系で放送中の連続ドラマ「ゆとりですがなにか」(毎週日曜夜10:30-11:25)で、ゆとり世代の若手社員を“怪演”している太賀が、親友の死という重い現実を背負いながら生きる道を模索する主人公・漣を演じる。中川監督とタッグを組んだ感想や役作り、作品への思いを聞いた。

――初めて台本を読んだ時の感想をお聞かせください。

監督の実体験をモチーフにしているので、どういう話で結末がどうなるのかも知った上で読んだので、かなりド直球だなと思いました。「愛の小さな歴史」や「Plastic Love Story」など、これまでの監督の作風は語りたいことが有り余っていて、そのエモーショナルな状況を作り出す表現がすごかったんです。でも、今回の物語はとてもシンプルで、いつもの手法とは違う感じがしたので、どんな“中川龍太郎節”を出してくるのか、とても気になりました。

――“中川龍太郎節”の魅力とはどんなところですか?

監督自身の感受性の豊かさです。いろいろなことに傷ついて、怒って、それを映画で表現する、そんな思いが画面からあふれているというか、そのエモーショナルな空気が魅力です。

――今回、演じた漣というキャラクターを自分の中に落とし込む作業で苦労した点は、どんなところですか?

正直、親友が自殺してしまう状況なんて味わったことがないし、到底分からない悲しみや苦しみだと思うので、それを理解することは無理だと思うし、すんなり入ってくるという感覚はありませんでした。でも、その中で自分に何ができるのか、監督とは撮影に入る随分前から何度も会って、身の上話や夢を語ったり、たくさん話しました。

監督の人間性から何かつかめないか、寄り添えないかって探る期間でもありました。友人を亡くした真理には追い付けていないけど、そういうアプローチをしたことで、かなり近いところまでは表現できたんじゃないかなと思っています。

――監督との話し合いの中で、何か“キーワード”は見つかりましたか?

監督は僕との距離が近くなっても、プロの俳優としての立ち位置をしっかり取ってくださる方なので、その距離感はとても心地良かったです。でもお酒が入ると、たまにボロが出たりして(笑)。いつもの監督とは違う一面が垣間見えるので、その姿を見た時に親友を亡くして本当につらかったんだなということが、少し分かったような気がします。

監督が「この映画を撮らないと前に進めない」って感情的になりながら言うまなざしや、口調に強烈な寂しさを感じました。何がフックになるかは分からないですけど、監督に寄り添うことで、役作りにつながったのかなと思います。あとは、想像力と共演者と向かい合った時に何が起こるかっていうことを意識しました。

――中川監督からはどんなアドバイスがありましたか?

とことんディスカッションしました。監督は言いたいことを全部言うし、僕らもその言葉に傷つきながら同じように意見をぶつけていく。互いに傷つけ合いましたけど(笑)、でもその共同作業は楽しかったです。監督は絶対に諦めない人なので、欲しい“画”が撮れるまで、何度も何度も撮りました。

――漣、薫(小林竜樹)、そして薫の恋人(黒川芽以)の“トライアングル”は、どんなふうに捉えていましたか?

漣は親友の薫しか見えていなかったんだと思うんですよ。漣の世界では薫という親友と自分が全てで、薫が彼女と遊んでいると「オイオイ、俺とは遊んでくれないのかよ」っていうジェラシーは、男だったら分かるような気がします。

そこは、見てくださる同性の方にも共感してもらえる部分かなと思います。監督がそういうタイプなので、あの三角関係はいとおしく感じました。

――物語の前半は比較的せりふが少ない分、後半で漣が感情を爆発させるシーンは印象的だと思いましたが、ご自身ではいかがですか?

その過程はかなり意識しました。大事なものをなくした喪失感を抱えたまま1年間過ごした漣が、薫の親族から見せられた1枚の絵をきっかけに、親友の死の意味を突き詰めていく。

生きがいのない生活を送っていた中で、死を思うことで強烈に生を思う。生を思い始めた時の爆発が、漣の食事のシーンに表れていると思うのですが、そこに至るまでの微妙なニュアンスは何度も監督と話し合いました。

――食べる芝居は難しいと聞きますが、いかがでしたか?

僕は、すんなり食べていました(笑)。もちろん、それまでのプロセスはあるんですけど、あのシーンに関しては食べている時にどう見られたいという意識はなかったので。ただただ飯を食うって、分かりやすい表現かもしれないですけど、漣として「そこで生きているんだ、生きるんだ」ということしか考えていなかったと思います。

ただ撮影前は、1日半ぐらい食事を抜きました。個人的には「飯を食うシーン」って好きなんです、おいしいと思えるだけで心が動くから。

――あのシーンは、まさに“ド直球”なシーンでしたよね?

全ての力を込めて投げたつもりです!

――今回の役に限らずに、役作りをする上で心掛けていることはありますか?

どんな役でも、無駄なシーンやせりふは1つもないと思っていて、それがどういう意味合いで必要なのか、作品を見ている人からの見え方を気にしています。それを考えながら、物語の中に自分が演じるキャラクターがどんなふうに存在すればいいのか、前に出たり一歩下がってみたり。役を自分なりに膨らませることもあれば、少し抑え気味にすることもあります。何となくですけど、そういうやり方で俯瞰と主観のバランスを取っているのかもしれません。

――10代のころから俳優として活動していらっしゃいますが、当時と変わった部分はありますか?

肩の力が抜けてきたところかな。デビュー当時からしばらく、ずっと力んでましたから(笑)。

――昔は熱い性格のキャラクターが多かったですよね?

僕自身、その力みが特徴だと思っていましたけど、最近はヘラヘラした役ばっかり演じています(笑)。この脱力感がいいのか悪いのか、まだ判断しきれていないのですが、地に足を着けて目の前のことをやれているという自負はあります!

――同世代の俳優さんに対してライバル意識はありますか?

いつも刺激はもらっています、僕らの世代は刺激的な人が多いですからね(笑)。10代のころはライバル意識があったかもしれないんですけど、今はそうでもないです。最近分かってきたのは、その人がやるから、その人なりの魅力を発するんだということ。僕が同じ役をやってその魅力は出ないだろうし、逆に僕の役を他の人が演じても、全く別のものになるだろうし。

技術ももちろん大事なんですけど、最終的には人なんですよね。その人の何かが染み出るのが、俳優という仕事なのかなって、そんなふうに思うようになって、無理して格好つけなくていいやって思えるようになりました。

――これから映画を見る方へメッセージをお願いします。

撮り終わって、ちょっと時間がたっているのですが、同世代のスタッフ、キャストみんなで傷だらけになりながら作った作品です。「一緒に映画を作ろうぜ!」って言いながら過ごした“青春”のような時間がありました。

見ていただけたら必ず響くものがあると確信しています。青春だけでは終わらない、もっと深い部分に触れられるような広がりをくみ取っていただけたらうれしいです!