テンテンコが振り返る――「音楽をちゃんとやりたい」から決めた“生きざま”

2016/12/18 00:00 配信

音楽 インタビュー

テンテンコ撮影=カノウリョウマ

2014年のBiS解散とともに“フリーランス”宣言をし、特定の事務所に所属することなくシンガー、DJなどとして活動してきたテンテンコ。そしてことし2016年、TOY'S FACTORY内のMIYA TERRACEレーベルとマネージメント契約、12月14日には待望の1stミニアルバム『工業製品』をリリースした。2年間の“フリー”期間で彼女は何を見て、何を感じてきたのか? 改めて振り返ってもらった。

――今回は、2014年7月のBiS解散から現在までのテンテンコさんの生きざまを語ってもらえればと思います。まず誰もが驚愕したBiS解散直後の“フリーランス”という選択肢、どういう経緯で決心に至ったんですか?

「BiSをやっている最中はついて行くのに必死だったから何も考えていなかったけど、いざ終わるとなったときに、初めてしっかり『私は何がしたいんだろう?』と考えたんです。そこで一番大きかったのが『音楽をちゃんとやりたい』という気持ちでした。思い返してみると、戸川純さんとかPhewさんとか、昔から私が好きな音楽に携わっている人って、今も変わらず活動をずっと続けている人で。だから私もその人たちのように、自分のやりたい音楽を死ぬまで、おばあちゃんになってもずっと続けていたいと思うようになりました。そう結論が出たとき、これから先またBiSと同じような活動をしていたら、自分が本当にやりたいことはずっと続けられないだろうなと思って、取りあえずひとりになって、いろんなことをやって自分にできることを探してみようと――。そういう思いのもと、決断しましたね」

――怖さや不安はなかったですか?

「私、別に『有名になりたい』とか『お金持ちになりたい』とは思ってなくて、最悪バイトしながらでも自分がやりたい音楽をやれるならそれでいいやと思っていたんです。というより、その覚悟がないと“フリーランス”なんて自称しちゃダメだと思っていたので、ちゃんとそれを覚悟した上で発表しました。だから、怖さも不安もなかったです」

――実際にバイトすることはなかった?

「いや~、ありがたいことになかったんですよね。なんとかなりました。私が普通の人よりお金を使わない人間だからかもしれないですけど(笑)。音楽を作ったりDJをしたりするための機材以外に、欲しいものが全然なくて。この2年半で服にも興味なくなっちゃったし、ご飯も『食べられればいいや』くらいな感じだったし。意識して節約していたわけじゃなく、自然と使いませんでした」

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