車いすテニス界の絶対王者・苦難の一年とリオへの軌跡

2016/12/16 14:17 配信

芸能一般

国枝慎吾

国枝は日本で最も有名なパラアスリートと言っていいだろう。2004年、20歳で挑んだ初のパラリンピックとなるアテネ大会では、男子ダブルスで金メダルを獲得。そして2008年の北京、2012年のロンドンではシングルスで金メダルに輝いた。また、グランドスラムでの優勝は20回、2008年~2010年にかけて、シングルス107連勝という世界記録も樹立しており、まさに「絶対王者」という名に相応しい。

国枝の人生が大きく変わったのは、脊髄に腫瘍が見つかった9歳の時。「手術が終わって、目を覚ますと足が動かなくなっていた」。国枝は今でも、両足の自由を失った瞬間のことを覚えているという。11歳の時、母の勧めで車いすテニスを始めると、高校時代に頭角を現し、海外遠征を経験。

国枝の武器のひとつはバックハンドのダウンザライン(サイドラインに沿った、ストレートのパッシングショット)。当時の国枝は「このショットを打たなければ勝ちはないし、必ず打てるという自信を持つレベルにするために、徹底的に練習した」と言う。

そして2016年、リオパラリンピックを最大の目標にした国枝だったが、1月の全豪オープンでまさかの初戦敗退。4月には、4年前にもメスを入れた右肘を再び手術した。しかし、全仏オープンで痛みが再発し、シングルス初開催だったウィンブルドンも欠場。

「(9歳の時に)一度死んでいるというか、ものすごいどん底で悪くても、牙をむくことができるメンタルがある」という言葉通り、国枝はギリギリの状況の中で9月のリオの舞台に間に合わせた。

絶対王者・国枝慎吾のこれまでの輝かしいキャリアを追いながら、苦しい一年となった2016年の王者の心と身体の変遷、そしてシングルス3連覇に挑んだリオパラリンピック、さらにはその先に国枝が見たものを描き出す。