八重の桜のあらすじ一覧
最終回 1894(明治27)年11月。日清戦争下、広島の陸軍予備病院に赴任した八重(綾瀬はるか)は、敵味方関係なく負傷兵の看護に当たっていた。不信感から暴れだす清国兵にひるむことなく、言葉は通じずとも身ぶりで看護を続行。看護婦に偏見を持つ衛生兵にはきぜんとした態度で向き合い、若い看護婦らと必死で任務を果たそうとしていた。そんな中、第二軍司令官の大山巌(反町隆史)は遼東半島の金州城を落とし、旅順へと進軍。11月21日、総攻撃を仕掛け、1日で難攻不落といわれた旅順要塞を攻略する。程なく徳富蘇峰(中村蒼)が陸軍予備病院へ。金州からの帰還兵に取材し、勇ましい戦功を記事にしたいと言う。八重が制するも、北京侵攻を前に国民の士気を鼓舞したいと譲らない。八重は蘇峰の人格が変わってしまったと嘆く。
1891(明治24)年6月。急激な西洋化が反発を招き、同志社英学校への入学志望者が激減。覚馬(西島秀俊)は前年に発布された「教育勅語」により、人々が教育の名の下に束縛されることを恐れる。片や八重(綾瀬はるか)は、日本赤十字社篤志看護婦人会・京都支部を指導する中、戦を知らない若い女性に不安を覚えていた。そんな折、八重と覚馬は山川健次郎(勝地涼)と再会。兄・浩(玉山鉄二)の使いで覚馬を訪ねた健次郎は、会津藩が京都守護職を拝命していた時代の話を聞きたいと言う。浩は川崎尚之助(長谷川博己)が残した『会津戦記』を引き継ぎ、逆賊という汚名をそそごうとしていた。覚馬は記憶をたどり、「八月十八日の政変」「蛤御門の変」について語り聞かせる。だが、戊辰戦争に敗れた会津藩にも非があったかのような物言いに、八重と健次郎は反発する。
1889(明治22)年10月。襄(オダギリジョー)は大学設立の資金集めのために関東中を巡っていた。そんな折、大隈重信(池田成志)が条約改正反対派から命を狙われ、教育者としての使命を強く感じた襄は焦る。片や、八重(綾瀬はるか)と覚馬(西島秀俊)の元に秋月悌次郎(北村有起哉)が訪れる。襄の不在を嘆く秋月は、新聞を通じて大学設立に懸ける襄の思いに共鳴し、新天地の熊本で教育に携わる決意を固めたと言う。八重は襄の活動を誇りに思い、帰りを待つ。しかし襄の体調は悪化。神奈川・大磯で療養中の襄は八重に心配を掛けまいと、徳富蘇峰(中村蒼)に頼み、「当方無事」と記したはがきを送り続ける。蘇峰を通じて覚馬には病状を伝えるも、八重には隠すよう頼んでいた。だが八重は襄の弱々しい字から異変を察し、大磯に行くと言いだす。
1888(明治21)年1月。覚馬(西島秀俊)はみね(三根梓)の遺児・平馬を山本家の養子に迎える。久栄(門脇麦)は失恋を乗り越え、勉学に励むことを決意。山本家に平穏が戻り、八重(綾瀬はるか)はほっと胸をなで下ろす。一方、襄(オダギリジョー)は大学設立に向けて病み上がりの体で無理を重ねていた。そんな折、徳富蘇峰(中村蒼)が訪れ、雑誌「国民之友」に書いた襄の記事が好評を博していると報告。襄は蘇峰から、東京で募金集会を開いてはと提案され乗り気に。だが、襄の体を心配する八重に反対され、夏まで待つことに。やがて6月、八重と襄は上京し、外務大臣・大隈重信(池田成志)の屋敷へ。襄は八重に見守られる中、政財界の有力者や新聞記者らに熱弁を振るう。大学設立に懸ける思いが通じて多額の寄付金を得るも、襄は胸を押さえて倒れてしまう。
1887(明治20)年1月。覚馬(西島秀俊)の娘・みね(三根梓)と同志社の教師になった伊勢時雄(黄川田将也)との間に長男が誕生し、八重(綾瀬はるか)らは大喜び。片や、みねの義妹・久栄(門脇麦)は山本家の跡取りとして一同から期待を掛けられるも、母・時栄(谷村美月)が八重に追い出されて以来、居場所を失い傷ついていた。そんな久栄が徳富猪一郎(中村蒼)の弟・健次郎(太賀)と親密に。健次郎は作家志望の同志社の学生で、伊勢家の居候。久栄は健次郎の勧める小説に親しんでいく。ところが程なく、みねが死去し、同志社で葬儀が執り行われる。久栄は家事を手伝いに伊勢家に通うも、やがて健次郎との交際をうわさされる。久栄の母親代わりとして心配する八重は、二人を呼び出し問い詰める。だが、久栄は反発し、健次郎と結婚すると言いだす。
1885(明治18)年5月。ジャパン・ミッション(日本宣教団体)によって同志社女学校の閉鎖が決議され、宣教師たちが撤退する事態に。窮地に立たされた八重(綾瀬はるか)だが、女学校存続のためミッションに頼らない学校に変えようと決意。覚馬(西島秀俊)に商工会議所の実業家を紹介してもらい、大垣屋清八(松方弘樹)の協力を得て資金集めに奔走する。そんな中、時栄(谷村美月)と書生・青木栄二郎(永瀬匡)に不倫疑惑が持ち上がる。覚馬の娘・久栄(門脇麦)は傷つき、八重は事の成り行きを憂慮する。時栄を思う青木は覚馬に詰め寄り、妻の時栄をお手伝いさん扱いしていると非難。覚馬は動揺し、八重に命じて青木を大阪の私塾に転校させる。そして時栄と共に洗礼を受け、一からやり直すことに。やがて12月。襄(オダギリジョー)が1年8カ月ぶりに帰国し、八重は心から喜ぶ。
1883(明治16)年12月。徴兵令改正により、私立学校の学生には徴兵猶予の特典が与えられなくなることに。同志社から官立学校への転校希望者が続出し、憤慨した襄は翌年、伊藤博文(加藤虎ノ介)の元へ。官立学校の学生のみ特典が与えられるのは不公平と直談判するも、退けられてしまう。八重はすっかり憔悴して帰宅した襄を心配し、大学設立の準備について覚馬に相談する。そこへ旧会津藩士の広沢安任(岡田義徳)が訪れ、縁戚の青木栄二郎(永瀬匡)を覚馬の元で学ばせたいと打診してくる。だが八重は同志社への入学を勧め、青木は覚馬の家に居候しながら同志社で学ぶことに。やがて4月、襄は大学設立の資金を集めるため、ヨーロッパに渡航。八重は体調の思わしくない襄を心配しつつも留守を預かる。
1882(明治15)年10月。伊藤博文(加藤虎ノ介)らに政府を追われた大隈重信(池田成志)が、早稲田大学の前身となる東京専門学校を開校。襄(オダギリジョー)も大学設立の準備を精力的に進めるが、八重(綾瀬はるか)は体調の思わしくない襄を心配していた。同じころ、10年ぶりにアメリカから帰国した山川捨松(水原希子)と津田梅子(河北麻友子)が文部省を訪れ、女子の大学設立を要望する。しかし、二人とも長年の海外生活から日本語の読み書きが不自由であるため、官僚から教育者に不向きと指摘され、女子に高等教育は不要と一蹴されてしまう。翌年、捨松の兄・浩(玉山鉄二)が山本家へ。浩は襄と八重に、捨松を同志社女学校の教師として雇ってほしいと頼む。襄は快諾するが、程なく大山巌(反町隆史)が山川家を訪ね、捨松を嫁に迎えたいと申し出る。
1882(明治15)年。自由党を結成した板垣退助(加藤雅也)が、遊説中に突如襲撃される事件が発生。そんな中、同志社英学校を国家権力に左右されない私立大学につくり変えようとしていた襄(オダギリジョー)は、板垣を見舞い、協力を仰ぐ。一方、八重(綾瀬はるか)は、覚馬(西島秀俊)の娘・みね(三根梓)の結婚を実母のうら(長谷川京子)に知らせたいと考えていた。そこで、襄と夏休みに行く東北への伝道旅行に、みねと夫の伊勢時雄(黄川田将也)を誘うことに。やがて八重ら一行は会津へ。旅の途中、安中で伊勢の妹・みや子(坂田梨香子)と夫の海老名喜三郎(阿部亮平)を訪問する。その後、会津に到着し街を案内すると張り切る八重だが、鶴ヶ城や武家屋敷が取り壊されていることにぼうぜん。生家を探し当てると、鉄砲に夢中になっていた昔を懐かしむ。
自由民権運動が高揚期を迎えた1880(明治13)年、主導者の板垣退助(加藤雅也)が明治政府に国会開設の請願書を提出。岩倉具視(小堺一機)や伊藤博文(加藤虎ノ介)らは、自由民権運動を弾圧するための予算を必要とし、地方から税の追加徴収を実施することに。京都府知事の槇村(高嶋政宏)は、覚馬(西島秀俊)ら府議会の審議を通さずに独断で増税を強行しようと画策。憤って直訴するも槇村に無視された覚馬は、民衆を味方に付けて対抗。八重(綾瀬はるか)はそんな覚馬を誇らしく思う。そのころ、覚馬の娘・みね(三根梓)に婿取りの話が持ち上がる。みねを山本家の跡取りとして育てた八重と佐久(風吹ジュン)は、良縁を切望し、覚馬に本腰を入れて婿探しをするよう進言する。しかしみねは、襄(オダギリジョー)の教え子・伊勢時雄(黄川田将也)に思いを寄せていた。
1878(明治11)年7月。八重(綾瀬はるか)と襄(オダギリジョー)の元に外務省から同志社英学校の廃校を命じる手紙が届く。突然のことに驚いた襄は、早速東京の外務省に向かう。同校へのアメリカの関与が問題だと指摘されるも、襄は資金援助と教育の必要性を訴え、何とか廃校処分を免れる。翌年3月、覚馬(西島秀俊)が第1回府会議員選挙に当選。この選挙は立候補制ではないため、覚馬は体の不自由な自分が選ばれたことに驚き、同時に使命感を抱く。そして初の議会で議長に選出され、議員たちをけん引していくことに。やがて6月。八重と襄は、同志社英学校初の卒業生を送り出す。第一期の卒業生は、金森(柄本時生)ら「熊本バンド」の15人。しかしアメリカの希望と異なり、教職に就いた卒業生が少なく、資金援助打ち切りの危機に陥ってしまう。
1877(明治10)年9月。八重(綾瀬はるか)と襄(オダギリジョー)が設立した同志社女学校で、覚馬(西島秀俊)の娘・みね(三根梓)ら活発で勉強熱心な娘たちが学び始める。だが、女性らしいマナーを重んじる教師アリス(アナンダ・ジェイコブス)とたびたび衝突。八重は両者の仲を取り繕おうとなぎなたの臨時授業を行うも、アリスをますます怒らせてしまう。折しも薩摩出身のリツ(大後寿々花)が病に。八重が看病しようとするも拒絶され、リツは退学を希望。父を会津戦争で亡くしたリツは会津に恨みを抱いていた。八重は自分が殺したのではと不安になり教育者としての自信を失う。一方、八重らが土地を入手できず、仮校舎で女学校を開校したことに対し、京都府知事・槇村(高嶋政宏)が裏で手を引いていると知った覚馬は、槇村を問い詰める。
1877(明治10)年2月、同志社英学校の新校舎が完成。八重(綾瀬はるか)は襄(オダギリジョー)と共に喜びを分かち合い、次は女学校の設立を目指すことに。そんな折、鹿児島で西郷隆盛(吉川晃司)が1万4千の不平士族を率いて挙兵。八重と覚馬は慌てて京都府庁を訪ね、知事・槇村正直(高嶋政宏)から、明治新政府に不満を持つ不平士族が西郷暗殺のうわさに乗じて挙兵したと聞く。覚馬は戦の回避を図ろうと、御所に滞在中の木戸孝允(及川光博)を訪ねる。だが、程なく西郷軍征討令が下り、西南戦争が開戦。東京から山川浩(玉山鉄二)が出征し、警視庁からは佐川官兵衛(中村獅童)と斎藤一改め藤田五郎(降谷建志)が従軍。会津の名誉を挽回する好機に奮起する。事の成り行きを心配して見守る八重だが、そんな折、女学校設立の認可が下りる。
1876(明治9)年1月。八重(綾瀬はるか)と襄(オダギリジョー)は夫婦になり、覚馬(西島秀俊)の家で暮らし始める。早速八重は、襄から洋式の名前で呼ぶように頼まれ驚く。だが、西洋の良い点を広めたいという思いに賛同して「襄」と呼び、ベッドやトイレなど洋式の調度を取り入れていく。やがて9月。同志社英学校に、金森通倫(柄本時生)、徳富猪一郎(中村蒼)ら約20人の学生が転入。後に「熊本バンド」と呼ばれる彼らは熱心なキリスト教の信者で、故郷の熊本で迫害を受けていたため、京都に逃れてきた。しかし、京都もまたキリスト教に反感を持つ者が多い地。覚馬は彼らの受け入れを懸念するも、襄は救いの手を差し伸べるべきと歓迎する。だが、金森らは信心深く優秀であるが故に問題行動を繰り返し、襄を悩ませることに。
1875(明治8)年秋。八重(綾瀬はるか)が襄(オダギリジョー)との結婚を決意し、婚約。覚馬(西島秀俊)らから祝福されるも、キリスト(耶蘇)教への偏見と差別は激しく、八重は女紅場で解雇を通告される。京都府知事・槇村正直(高嶋政宏)を訪ねた八重は、解雇通告が槇村の指示と知って驚く。槇村は襄が設立を模索する学校でキリスト教は教えさせないと民衆に宣言し、襄の前に立ちはだかっていた。さらに槇村は、八重に解雇を避けたければキリスト教に入信しないことを生徒に約束するよう迫る。襄を裏切ることも生徒を見捨てることもできない八重は思い悩む。そんな中、襄は学校設立に奔走。仮校舎が近所の住民に荒らされるも、圧力には屈しない断固とした姿勢で臨む。そんな襄に感銘を受けた八重は女紅場を去る決意をし、生徒に最後のメッセージを贈る。
1875(明治8)年夏。山本家の居候になった襄(オダギリジョー)が、八重(綾瀬はるか)に突然プロポーズする。八重は逃げるように女紅場に戻るも、動揺して夜も眠れない。翌朝、襄から求婚の話を聞いた覚馬(西島秀俊)らも突然のことに絶句。覚馬らは襄の人柄は認めつつも、八重の元夫・尚之助(長谷川博己)のことを気に掛ける。一方、八重の勤め先の女紅場を親友・時尾(貫地谷しほり)と斎藤一(降谷建志)が訪れる。二人の結婚の報告を受け、八重は驚くも心から祝福。そして二人を山本家に招き、松平容保(綾野剛)が仲人を務めたという祝言の様子を聞く。そんな折、京都府庁で知事・槇村正直(高嶋政宏)と面会していた襄が帰宅。キリスト教主義の学校設立の認可を得ていたはずの襄だったが、僧侶の猛反対に遭った槇村に手のひらを返されたと言って落胆する。
1875(明治8)年2月。八重(綾瀬はるか)は覚馬(西島秀俊)から耶蘇(キリスト)教を学ぶように命じられ、アメリカ人宣教師ゴードン(ドン・ジョンソン)の屋敷に通い始める。だが、会津で培った精神に反するような教えをなかなか理解できない。一方、アメリカで宣教師となった新島襄(オダギリジョー)が10年ぶりに帰国。木戸孝允(及川光博)の紹介で覚馬を訪ね、京都にキリストの教えに基づく学校を設立したいと支援を要請する。だが、京都は仏教の聖地。覚馬から耶蘇教を布教するのは困難だと指摘されるも、襄は強い信念をもって熱く訴える。やがて覚馬の協力の下、京都府参事・槇村正直(高嶋政宏)から学校設立の許可を得た襄は、人々から信頼されるために結婚した方がよいと勧められる。そんな時、ゴードン邸で八重と出会う。