ドキュメントJの放送内容一覧
「ふたりだけの部屋」と題して、児童養護施設で育った姉妹に迫る。小学校に入る前に姉妹二人だけでアパートの部屋で過ごした芽生愛(めいあ)と里生菜(りいな)。母親の再婚相手から虐待を受け、電気も水道も止められ、食べるものすらなかった過去と葛藤する二人が、過去と向き合い、生きようと歩き始めた一年半に密着する。
難聴ながら医師として働く今川竜二さんを紹介。今川さんの聴覚は、飛行機のエンジン音が、ようやく音として感じるレベルだという。大学卒業後に勤務した東京の大学病院では、障害を理由に救急や外来の仕事は担当させてもらえずにいた。だが現在、三重の市立病院に迎えられ、内科の医師として歩き出した。その日々に密着する。
自然派ワインの醸造家・大岡弘武を紹介する。大岡は20代でフランスに渡り、自然派ワインの修行を積んだ。カリスマと呼ばれるまでになった大岡は4年前に帰国し、岡山で自然派農法を始める。畑の雑草は刈らず、作物の天敵・虫や鳥がはびこる畑は“カオス”な状態。だが、大岡は自然派ワインの先に見据える農業の未来を明かす。
舞踊家・演出振付家の金森穣に迫る。新潟市民芸術文化会館「りゅーとぴあ」専属舞踊団Noism(ノイズム)を率いる金森は、「世界トップの振付家」と評されている。その一方で、税金の無駄遣いの張本人という声もある。金森は何を目指して新潟の劇場で踊るのか、地方都市における文化芸術のあるべき姿を問う。
長崎・川棚町川原地区のダム予定地に迫る。2019年、石木ダム建設に反対する地元住民13世帯の家や田畑が強制収用された。事業が計画されたのは半世紀前だが、水没予定地に暮らす住民は、先祖代々の土地を手放せないと立ち退きを拒み続けている。事業を推進する長崎への抗議活動が日常を占める人々の生活を紹介。
島根・出雲に住む山田温子さん一家を紹介。山田家には子供が4人おり、第2子の結子ちゃんは「ミトコンドリア病リー脳症」という指定難病のため、話すことも歩くこともできない。この病気は遺伝性のため出産にはリスクがあったが、温子さんは4番目の子供を妊娠。出生前診断を受けず、出産を選んだ山田さん夫婦の思いに迫る。
軍医・小野彰の記録を基に戦争を考える。小野には多くの才能があり、激戦地で出すことのできない軍事郵便はがきに細密な絵と短歌を戦場でつづり続けた。また、最前線の軍医として、食料も薬の補給もない中、戦友の治療を続けた。小野はなぜ、絵と短歌を書き続けたのか、何を伝えたかったのか作品とともに紹介する。
新潟有数のフルーツ産地・白根で、旧来のもうからない農業を打破しようと若手農家が立ち上がる。富山喜幸さんは、新潟では珍しいプラムの栽培に取り組む。全国的に流通が少ない品種「貴陽」は希少価値が高く、2玉700円の値段でも飛ぶように売れる。また、雪国で南国のフルーツを作るという前代未聞の挑戦で注目を集める関根邦仁さんを追う。
RCC中国放送の中根夕希アナが、自身の祖母から話を聞く。中根アナの祖母・木村敬子さんは、17歳の時に広島で原爆に遭った。原爆投下から1週間後、木村さんは行方不明となったきょうだいを探すため、焼け野原の市内を歩いたという。これまで戦時中の話を家族にもしてこなかった木村さんが、広島で見た光景を語る。
大阪の街中で70年間営んでいる小さな書店を紹介。二代目店主・二村知子氏の元には、人生で壁にぶつかった時、本に助けを求める人たちが訪ねてくる。20年前には、およそ2万2千店あった書店の数は現在、半分ほどになったと言われているが、そんな中でもどこか元気な二村氏の書店の知られざる秘密に迫る。
警察官による「ヤジ排除」に迫る。安倍晋三内閣総理大臣が北海道・札幌で演説をした際、ヤジを飛ばした男性が多数の警察官によって排除された。また、プラカードを掲げようとした女性も遠ざけられた。番組スタッフは集めた当時の映像を基に、元警察官、刑法の専門家などへ取材を行い、ヤジ排除の正当性について検証する。
ご当地ヒーローの先駆け的存在ともいえる鹿児島・種子島の「タネガシマン」を紹介する。彼らは、中種子町のアクション好きの青年団のメンバーにより結成。さまざまなイベントに登場し、その日限りの“オーダーメイド”の脚本でローカルショーを展開している。2019年に20周年を迎えた彼らの新たな計画に迫る。
岡山出身のマジシャン・金関拓海氏に迫る。26歳の金関氏は、2019年に行った単独公演で岡山市民会館の1700席を満席にするなど、その実力は折り紙付き。そんな金関氏が、親族による10年にもわたる虐待、高校中退、非行、果てはホームレス生活といった、想像を絶する少年時代を過ごしていたことを明かす。
山梨・甲府赤とんぼ少年少女合唱団の創立者・雨宮真弓氏と合唱団に迫る。10人ほどで始まった合唱団は、合唱大国・ブルガリアのソフィア少年少女合唱団から、合唱祭に日本代表としての出演依頼を受け、成功を収める。しかし、雨宮氏が体調を崩し、活動も減り続けて15年以上。2017年12月に区切りとして解団式が行われた同合唱団の軌跡をたどる。



























