鎌倉殿の13人のあらすじ一覧
建仁3(1203)年10月9日。前月に征夷大将軍に補任され、元服して3代目鎌倉殿となった政子の次男・実朝(嶺岸煌桜)の政務開始の儀式、政所始が執り行われる。この儀式を取り仕切った時政は初代・執権(政所別当)に就任し、実質的な政治指導者としての地位を得る。そんな中、時政を支えるりくは実朝の正室を京から迎えることを進言し、娘婿である平賀朝雅(山中崇)を通じて後鳥羽上皇(尾上松也)に願い出る。だが、御家人たちは派手に権勢を振るう北条家を敬遠。義村(山本耕史)の忠告に義時も苦笑する。一方、鎌倉殿の座を奪われ、失意の頼家(金子大地)は伊豆・修善寺に幽閉されていた。
建仁3(1203)年9月。鎌倉から届いた文で頼家(金子大地)の危篤を知った後鳥羽上皇(尾上松也)は、ある考えを巡らせる。そして文には、頼朝(大泉洋)の次男・千幡(中村朗仁)を征夷大将軍に任じてほしいという内容が書かれていたことから、九条兼実(田中直樹)の弟で名僧・慈円(山寺宏一)に下問。慈円から次の新しい将軍を大事にするよう進言を受けた後鳥羽上皇は、千幡に「実朝」という名前を与える。その頃鎌倉では、政子の元に義時らが集まり、頼家の後継者による新たな体制について議論を重ねる。一方、先を見据えるりくは時政に京との関係をより深めることを説き、愛息・政範(中川翼)も胸を高鳴らせる。
建仁3(1203)年7月。体調不良が続いていた頼家(金子大地)が発病し、父・頼朝(大泉洋)と同じような重い病状に陥ってしまう。頼家の後継者を巡り、比企能員(佐藤二朗)は頼家の側室で娘のせつ(山谷花純)が産んだ長男・一幡(相澤壮太)を推薦。早々に朝廷の許しを得ようと躍起になる。だが、義時が異を唱え、大江広元(栗原英雄)や政所で財務をこなし大江を支える二階堂行政(野仲イサオ)らも義時に同意したため、状況を見守ることに。程なく、義時は比企尼(草笛光子)の孫である比奈(堀田真由)に能員の動向を探らせ、三浦義村(山本耕史)にも相談を持ち掛ける。そんな中、政子の元を時政やりくらが訪れる。
建仁3(1203)年。鎌倉御所の寝殿の床下から人形が見つかったことで、全成(新納慎也)に頼家(金子大地)への呪詛の疑いが掛けられる。比企能員(佐藤二朗)はその背後に北条家の暗躍があると確信し、全成の館に乗り込んで呪詛の道具を押収。さらに全成を詮議するが、頼家への呪詛を認めないため、北条家との対決姿勢をさらに強めていく。その頃北条家では、夫・全成が比企家に陥れられて激怒した実衣(宮澤エマ)が時政を追及する。責任を感じた時政は自分が名乗り出て全成を助けようとするが、りくに止められる。そんな中、義時は北条家を守るために一計を案じ、畠山重忠(中川大志)の助力を得る。
正治2(1200)年。義時ら13人の宿老たちによる合議制を始めた鎌倉だったが、宿老たちの力関係が崩れ、頼家(金子大地)への抑止力が弱まってしまう。頼家は「これからは好きにやらせてもらう」と言い放ち、支援しようとする比企能員(佐藤二朗)の後ろ盾を拒む。その頃、北条家と比企家との対立を懸念する義時は、頼時と比奈(堀田真由)を前に決意を新たにする。そんな中、頼家の正妻・つつじ(北香那)が次男・善哉を出産。三浦義村(山本耕史)が乳母父となるが、跡継ぎを巡って長男・一幡こそが嫡男だと能員がけん制する。一方、りくは政子の次男・千幡を頼家の跡継ぎにしようと時政をたきつける。
正治元(1199)年4月。18歳で家督を継いで2代目鎌倉殿となった頼家(金子大地)の訴訟親裁を停止し、義時ら13人の宿老たちによる合議制が始動する。だが、宿老同士でいがみ合いが始まり、梶原景時(中村獅童)が怒りだし、評議は延期に。そんな中、頼朝(大泉洋)を超えたい気持ちを強く持つ頼家は、宿老による評議が必要なのか制度そのものに疑念を抱き、御家人たちへの不信感を募らせる。頼家は合議制を自身の力を侮っている結果だと捉えて憤慨し、義時の弟・時連(瀬戸康史)や頼時ら若い御家人をそばに置いて宿老をけん制する。そんな中、義時ら13人の宿老たちが集まり常陸の御家人の土地争いについて評議を始める。
建久10(1199)年1月。後白河法皇(西田敏行)の孫・後鳥羽上皇(尾上松也)は、頼朝(大泉洋)の訃報を朝廷の実力者・土御門通親(関智一)から聞く。後鳥羽は頼朝の跡継ぎの嫡男・頼家(金子大地)について、「頼朝の跡目、さぞ重かろう」とつぶやき思案する。一方、鎌倉では宿老たちが居並ぶ中、家督を継いで2代目鎌倉殿となった頼家が自身の所信を表明。これに時政と比企能員(佐藤二朗)は共に困惑し、梶原景時(中村獅童)は賛辞を贈る。頼家は景時に信頼を寄せる一方、義時に将来性のある若手の人材選びを託す。その様子を政子に報告した義時は、弟の時連(瀬戸康史)と愛息の頼時を頼家の元へ送り出す。
建久9(1198)年12月末。義時は先を見据えて政を取り仕切る大江広元(栗原英雄)や、頼朝の支援者・三善康信(小林隆)らと共に、頼朝の嫡男・頼家(金子大地)を次の鎌倉殿とする新体制づくりを開始。だが、比企能員(佐藤二朗)の力が増して北条家が蚊帳の外に置かれることを懸念するりくは、「あなたがお造りになられた鎌倉を他人に取られてはならない」と時政(坂東彌十郎)に詰め寄り、この流れに対抗する。一方、義時の元に三浦義村(山本耕史)が現れる。北条家と比企家の勢力争いを懸念する義時は、つつじ(北香那)を頼家の正室として男児が生まれた場合は、三浦家から乳母夫を出してほしいと義村に頼み込む。
建久9(1198)年12月。曽我兄弟の敵討ち事件や弟・範頼(迫田孝也)の流罪など、身に降り掛かる不幸が続く頼朝は不安にさいなまれる。政子が心配する中、頼朝から過剰に助言を求められた全成(新納慎也)は困惑し、実衣(宮澤エマ)と思案する。程なく、頼朝の嫡男・頼家(金子大地)と比企能員(佐藤二朗)の長女・せつ(山谷花純)との間に、長男・一幡が誕生。能員は鎌倉殿の継承に心を躍らせるが、比企家の台頭を危惧するりくは、時政(坂東彌十郎)をたきつける。時政は、範頼の一件に能員が絡んでいるとのうわさを流したことを義時に打ち明ける。そんな中、頼家に呼び出された義時は、ある相談を持ち掛けられる。
建久4(1193)年5月。頼朝と嫡男・万寿(金子大地)が巻狩りから無事に戻り、政子は安堵する。だが、頼朝は自身に代わって鎌倉殿の座に就こうとした弟・範頼(迫田孝也)を許さず、謀反の疑いを掛ける。ふに落ちない義時は、この一件に比企能員(佐藤二朗)が絡んでいるのではと範頼に尋ねるが、範頼はこれを否定し、忠誠を誓う起請文を頼朝に送る。死罪を免れた範頼だが、8月に伊豆国の修善寺に幽閉される。程なく、頼朝は後鳥羽天皇(菊井りひと)への入内が棚上げになっていた大姫(南沙良)を公家の一条家に嫁がせようと考える。一方、大姫は亡きいいなずけ・源義高(市川染五郎)を慕い続けていた。
建久3(1192)年7月。頼朝は、3月に崩御した後白河法皇の死を待っていたかのように、朝廷に自らを大将軍とするよう要求していた。第82代に即位した後白河法皇の孫に当たる後鳥羽天皇(菊井りひと)は、頼朝に数ある将軍職の中から全国の武士の頂点となる征夷大将軍を命ずる。翌年5月。頼朝は嫡男・万寿(金子大地)の披露目の場とするため、御家人たちを集めて富士の裾野で鹿やイノシシなどを狩猟する巻狩を行うことに。工藤祐経(坪倉由幸)が称賛する中、頼朝を憎む曽我十郎(田邊和也)と五郎(田中俊介)兄弟が謀反を計画。梶原景時(中村獅童)からたくらみを知った義時は、時政(坂東彌十郎)の元へと向かう。
建久元(1190)年11月。義時は上洛が決まった頼朝の命に従い、随行することに。平家軍を追走して上洛寸前までいった富士川の戦いから10年の時が流れていた。大軍を率いて念願であった京へと上洛した頼朝は、後白河法皇の御所を訪ねる。初めて後白河法皇に謁見した頼朝は、摂関家の実力者で公家の頂点に立つ九条兼実(田中直樹)も同席した会談を度々重ね、今後の世の在り方を思い描く。そして頼朝は、武家の棟梁として官職の権大納言・右近衛大将に任官する。そんな中、自分たちには利益のない上洛に、三浦義澄(佐藤B作)、岡崎義実(たかお鷹)、千葉常胤(岡本信人)ら御家人は不満を募らせる。
文治5(1189)年9月。義経(菅田将暉)を失った奥州に攻め込むため鎌倉を進発した頼朝は、藤原秀衡(田中泯)の後継者・泰衡(山本浩司)を滅ぼし、奥州を平定する。畠山重忠(中川大志)や和田義盛(横田栄司)ら御家人たちは、奥州征伐の戦勝の酒席で義経の話で盛り上がる。義時は、独りで酒を飲んでいた梶原景時(中村獅童)の元に足を運び、在りし日の義経をしのぶ。程なく鎌倉に戻った頼朝は、毅然と上洛に向けて動きだす。一方、京の後白河法皇は丹後局(鈴木京香)と今後の情勢を憂慮し、来るべき日に備えていた。そんな中、鎌倉では八重が子供たちの世話に奔走。八重の明るい表情に、政子も目を細める。
頼朝との関係を修復できない義経は、ついに頼朝を迎え撃つため挙兵する。だが、義経に味方する者は現れず、義経追討の宣旨を受けた頼朝に追い詰められ逃亡生活を送る。文治3(1187)年2月。京を離れて奥州へ逃れた義経は、藤原秀衡(田中泯)の下で保護される。同年10月に、義経を迎え入れた秀衡が死去。これを知った義時は、状況を探るため平泉行きを志願する。だが、義経の才を恐れる頼朝は、秀衡の長男・国衡(平山祐介)と次男で秀衡の後継者・泰衡(山本浩司)兄弟の仲の悪さに付け込み、義経を討つように命じる。義経を討てば平泉を攻める大義名分が立つ謀略を任された義時は、八重に見送られ平泉へとたつ。
元暦2(1185)年5月。壇ノ浦の戦いでついに平家を滅亡させた義経は、平宗盛(小泉孝太郎)らを護送して東国へ下る。だが、義経を脅威に思う頼朝から鎌倉入りを許されず、義経は京へ戻り悲嘆に暮れる。義時は、大江広元(栗原英雄)に知恵を借り、頼朝と義経の関係修復を模索するが、後白河法皇はそれを許さない。後白河法皇を優先した義経に愚痴をこぼす頼朝に対し、政子は八重が苦言を呈す状況を憂える。一方、京では比企尼(草笛光子)の孫・里(三浦透子)と都随一の白拍子・静御前(石橋静河)が義経を巡って対立。さらに、頼朝に不満を募らせる行家(杉本哲太)が義経に近づき、頼朝への疑心をあおる。
元暦2(1185)年正月。源平合戦はさらに激化。頼朝の軍勢は、一ノ谷で敗北し四国の屋島に逃げた平家軍を追い詰めていく。瀬戸内海で必死の抵抗を続ける平宗盛(小泉孝太郎)率いる平家軍に対し、頼朝は義経に四国、異母弟の範頼(迫田孝也)に九州を攻めさせ、逃げ道をふさぎにかかる。しかし、範頼軍は九州に渡る船を集められず周防で足止めを食らい、同行していた義時や義村(山本耕史)らが状況の打開に奔走する。一方、義経軍も後白河法皇の命により摂津から動けずにいた。そんな中、壇ノ浦で義経勢の軍議が開かれる。そこで梶原景時(中村獅童)の献策を一蹴した義経は、景時と激しく対立する。
義経の軍略はさえわたり、宇治川の戦いで義仲(青木崇高)を撃破する。それに続いて一ノ谷の戦いで頼朝の異母弟・範頼(迫田孝也)と共に、難攻不落の平家軍を破り連勝に沸く。しかし、義仲の討伐により鎌倉に暗雲が立ち込める。義仲の嫡男・義高(市川染五郎)を危険視する頼朝は、八重や嫡男・金剛の待つ鎌倉へ戻っていた義時に義高の処断を命ずる。一方、義高と婚約したまな娘・大姫(落井実結子)を思う政子は憤り、頼朝に掛け合って義高の命乞いをする。頼朝は平家に父・義朝を殺された自身の積年の思いを重ね、今のうちに義高の恨みを絶たねばならぬと政子に諭す。頼朝からの下命で、義時は胆力を試される。
寿永2(1183)年12月。謀反を企てていた御家人たちを一枚岩にまとめた頼朝は、義仲(青木崇高)を討つため御家人たちを招集する。翌年、頼朝は弟・範頼(迫田孝也)を総大将、梶原景時(中村獅童)を軍奉行とした本軍を派兵。義時も派遣軍に従軍し、墨俣にいる義経の軍と合流する。文を届けに現れた義仲からの使者を斬り捨て宣戦布告した義経は、宇治川の戦いで義仲軍を撃破し、北陸へ追いやる。義経の軍勢は京に入り、義時は戦乱で荒れ果てた町の惨状に驚く。さらに義経は、福原を拠点に布陣を構えて復権をうかがう平宗盛(小泉孝太郎)に対し、予想外の場所から攻め込む戦略を立てる。
寿永2(1183)年11月。鎌倉を出立した義経の軍勢は、近江まで進撃して京を射程に捉える。一方、義経の軍勢が迫っていることを知った義仲(青木崇高)は、後白河法皇の御所・法住寺殿を焼き打ちし、法皇を幽閉して京にこもる。その頃、鎌倉では御家人たちが謀反を計画し頼朝の足元が揺らぎ始める。三浦義澄(佐藤B作)の館に集まった志を同じくする御家人たちの中に上総広常(佐藤浩市)も加わり、義仲の嫡男で人質として送られてきた義高(市川染五郎)を旗頭とし、都ばかりに目を向ける頼朝の失脚を狙う。そんな中、義時は御家人たちの計画をつぶすため頼朝の信頼を得る大江広元(栗原英雄)らとの連携を図る。
寿永2(1183)年。嫡男・義高(市川染五郎)を人質として鎌倉へ送った義仲(青木崇高)は、北陸の倶利伽羅峠の戦いで平家の追討軍を撃退し、勢いに乗って上洛する。一方、敗れた平宗盛(小泉孝太郎)率いる平家一門は、三種の神器と共に都から西国へと落ち延びる。そんな中、頼朝は義仲の活躍に焦るが、しきたりや作法に疎い義仲と後白河法皇との関係が悪化すると、義経を大将とし派兵することを決断する。しかし、頼朝と義仲の争いは身内の戦で利益がないことから、三浦義澄(佐藤B作)や千葉常胤(岡本信人)ら御家人たちが不満を募らせ始める。義時は、御家人と頼朝を再び一つにまとめ上げるため奔走する。



























